1969

1

これは、みんなの大好きな、緑色のあいつの話だ。
ちょっと読めば、何のことを言っているかわかると思う。
だめな人ほど、緑色のあいつには詳しいから。

あるところに、中古のメイド・ロボット(少女型)を、
やましい目的のために買おうとしている男がいた。
みんなが想像する以上に、やましい目的だった。

男は引退したばかりのロックンローラーだった。
しょっちゅう薬や喧嘩で捕まるので、かつては、
「この世で最も教育に良くない男」と呼ばれていた。

「住み込みのメイドロボットが欲しい」とロックは言った。
「どういったのがお好みで?」と業者の男が聞いた。
「なにもしゃべんないやつ」とロックは答えた。
ロックは自分以外のうるさいやつが大嫌いだった。

「ああ、それなら、うってつけの子がいます」
そう言って業者の男が連れてきたのは、
15
歳くらいの、元気のない少女型だった。

2

「このロボット、どういうわけか、何も喋ろうとしないんです。
でも耳の方はきちんと聞こえてますので、ご安心ください」

ロックは少女型ロボットを見て、一目で気に入った。
すべてにうんざりしてる感じの目が、とてもよかった。

「この子を買うよ。名前は何て言うんだ?」

19です。ジューク。旦那、ロックの精神を見込んで、
あなただけに、ジュークの秘密をお教えします」

男はジュークの細い肩を乱暴に叩いて、言った。
「実を言うと、ジュークはロボットじゃないんです」

「ナマモノか?」とロックは目を輝かせた。

3

「ええ。ですが、体のほとんどが機械なので、
普通にしていれば、正体がばれることはありません。
脳もほとんど機械同然なので、管理しやすいです。
前の持主の記憶は、きれいに消してあります」

ロックはサングラスを外し、改めてジュークを眺めた。
手足は細く、左肩にはやけどしたような跡があり、
やわらかい黒髪は、腰くらいまでの長さがあった。

ロックはしばらく悩んだが、ロックンローラーたるもの、
人身売買の一つや二つ、やっといた方が良いと思った。

4

「ますます気に入った。こいつを買わせてもらう。
ただし、こいつが本当は生身であることに関して、
俺は何も知らなかったということにしとけよ?」

「もちろんです。『我々は何も知らなかった』のです」

ジュークはとことこ歩いてロックの前に立ち、
両手を前に差し出して、奇妙な動きをした。

それは手話だった。

ジュークは手話で『よろしくおねがいします』と言っていた。

5

「ああ、よろしくな」とロックは答えた。
それくらいの手話なら、彼も理解できた。

ここ数年で急速に増えた音響兵器のせいで、
五人に一人が難聴という時代になっており、
手話は珍しいものではなくなっていたのだ。

『あなたのことは、なんてよべばいいんでしょう?』
店を出ると、ジュークは手話でそう聞いてきた。

「喋れないくせに、妙なことを気にするやつだな。
しかし……自分で言うのもなんだが、俺の顔、
相当有名なはずだぞ。テレビで見たことないのか?」

ロックはサングラスを外し、自分の顔を指差した。

6

ジュークはしばらく彼の顔を眺めていた。
ロックは確かに、有名人的な顔立ちをしていた。
きれいな金髪の、意地の悪そうな美男子だった。

『すみません、みたことがないです。
てれびをみることが、あまりなかったので』

「そうか。俺はさ、有名なシンガーだったんだよ。
ロックンローラーの最後の生き残りって呼ばれてた。
ロバート・プラントの再来とも言われてな。

まあいい。知らないなら、それはそれで気が楽だ。
俺のことは、そうだな、『マスター』と呼べばいい。
普通のメイドロボットなら、そうするだろうから」

ますたー、とジュークは口を動かした。

どうしてこの子は喋れないんだろう?
そうロックは思った。前の持主の趣味だろうか?

7

自宅に入り、ドアを閉め、ロックは一息ついた。
引退したとはいえ、マスコミの目はそこら中にある。
最近離婚したばかりのロックの、そのとき支払った
慰謝料の額は、ちょっとしたスキャンダルになっていた。

ジュークはロックの腕に軽く触れ、聞いた。
『わたしはなにをすればいいんでしょう?』

ロックは辺りをきょろきょろ見回し、
誰もそこにいないことを確認した後、言った。

「今日からお前は、俺のマミーになるんだ」

『……まみー?』ジュークは聞きかえした。

「そうだ。ジュークは、俺のママになるんだ」

このひとはなにをいっているんだろう、とジュークは思った。
いかれてるのかな?

8

「ジュークはなにも、特別なことはしなくていい。
ただし、俺はときどき、無性にマミーが恋しくなる。
そういうとき、俺はジュークを、マミーとして扱う」

そう言うと、ロックはジュークに抱きついた。
らんぼうされるのかな、とジュークは身をこわばらせたが、
ロックはジュークにしがみついたまま、じっとしていた。

「会いたかったよ、マミー」とロックは言った。

ジュークはすごく困ったような顔をしつつも、
27
歳のロックの背中をぽんぽん叩いてあげた。

第一印象とは、大分違う人間のようだった。

9

二十分くらいして、ロックはジュークから離れた。
ジュークは緊張でくたくたに疲れていた。
ロックは十分にマミー成分を補給できたらしかった。

『あの、ますたー』とジュークは手話で言った。
『まみーがほしいんでしたら、わたしなんかより、
もっとまみーっぽいろぼっとがいるとおもいますよ?』

「普通の女じゃ駄目なんだ」とロックは言った。
「俺には、女の前では強がる使命がある。
引退しても、俺はロックンロール・スターなんだ。
でも、お前くらいの少女の前なら強がらなくて済む、
素直に甘えられる、情けない姿も見せられる」

へんなひとだなあ、とジュークは思った。
にじゅうじんかくのひとみたい。

10

ロックは二回離婚したことで有名だったが、
ジュークはこれまで四回持ち主に売り飛ばされていた。

ジュークは持ち主に見限られるのが得意だった。
わざとまずいご飯を作ったり、掃除を雑にやったり、
寝坊したり、持ち主に対して失礼な態度をとるのは、
さっさと売り飛ばされて、倉庫に戻りたいからだった。

ジュークは今回もそうするつもりでいた。
「マミー、夜ご飯が食べたい」とロックが言ったので、
ジュークはエプロンを着て、油と塩の味しかしない料理を作った。

11

しかし、ジュークの料理を食べたロックは、
文句を言うどころか、嬉しそうに笑った。
「マミーの料理はおいしくないなあ」
そう言いつつ、残さず食べてしまった。

次にジュークは、印象を悪くする狙いで
わざとロックの前で何度もあくびをした。

「ジューク、眠いのか?」とロックは聞いた。
ジュークはこくこくうなずいた。

「初日だからな、緊張して疲れたんだろう?」
ロックは「俺も寝よう」と言って寝支度を始めた。

12

ロックはジュークの手を引いて寝室へ行った。
ふかふかのベッドにジュークを寝かせ、
ロックもその隣にもぐって、明かりを消した。

「おやすみ、マミー」とロックは言い、
ジュークの胸に顔を埋めて寝た。

ジュークはきまりの悪そうな顔で、
さっさと寝付いてくれるのを願う一心で、
ロックの胸を優しくとんとん叩いてあげた。

はやくひとりになりたいなー。

13

ロックが寝息を立て始めたのを確認して、
ジュークはそっとベッドから出ようとした。

するとロックの手がジュークの腕をつかんだ。
「マミー、ここにいてくれ」

ジュークはしぶしぶ毛布に潜り、
27
歳児の抱き枕として一晩中機能した。

ますたー、わたしがここにくるまで、
どうやってせいかつしてたんだろう?

14

次の日も、その次の日も、
ジュークはロックに嫌われる努力をした。

掃除機で真空管アンプをがんがんやったり、
高級な革ジャンを洗濯機に入れて洗ったり、
灰皿の中身をミキサーにぶちまけたり。

ロックはその度に嬉しそうに困っていた。
ジュークに困らせられるのが好きらしかった。
まいったなあ、とジュークは思った。
どうすればきらいになってくれるんだろう?

あまり露骨に反抗の意志を見せると、
記憶を消されるだけに終わる恐れがあった。

あくまで自然に嫌われる必要があるのだ。
「こいつは使えない」と思わせる、とか。

15

自分をなまけものに見せる狙いで、
ジュークは倉庫に隠れて昼寝をしてみた。
そこにはウッドストックの人形があって、
ジュークはそれを枕にして横になった。

「ジューク、どこ行った?」とロックが呼んだ。
ジュークは目を閉じて、寝たふりをした。

倉庫のドアを開けたロックは、
変な体勢で寝ているジュークを見つけた。

ジュークはどきどきしながら怒られるのを待っていたが、
ロックはジュークを身長に抱えあげると、
寝室まで運んでベッドに寝かせた。

16

窓から差し込む日差しがあったかくて、
ジュークは本当に寝入ってしまった。
『あしたこそ、きらわれてやるぞ』、と決意しながら。

その日、ジュークはおいしい夕食を作った。

ちなみに。ジュークは知るよしもなかったが、
ロックがジュークを大事にするのは、
始めっから手放すつもりでいたからだ。

どうせなら、元値に近い値段で売れるように、
丁寧に扱おうと思っていたのだ。

電化製品には、よくある話。

17

購入からちょうど100日たったその日、
ジュークの記憶を消して、売り飛ばそう。
そうロックは考えていた。

ある意味では、ジュークとロックの利害は、
最初から一致していたのだ。

18

ロックは外に出るたび、しょっちゅう喧嘩をしてきた。
警察に捕まって、三日くらい帰ってこないこともあった。

そして家に帰ると涙目でジュークに抱きついて、
「マミー、また喧嘩しちゃったよ」と言った。

その度ジュークはロックの怪我をみたり、
しばらくロックを慰めたりしなければならなかった。
なくくらいならけんかしなきゃいいのに。

『ますたー、ほんとはけんかきらいなのに、
どうしてそんなにけんかばっかりするんですか?』
ラグビー選手と喧嘩してきて傷だらけのロックに
皮膚スプレーを吹き付けながら、ジュークは聞いた。

19

ロックの答えは、こんなものだった。

「マミー、俺は、無法者を演じなきゃならないんだ。
ロックンローラーの俺が、何もできない皆の代わりに、
法律を破って、暴言を吐いて、喧嘩しなきゃならないんだ。

つまり、俺は必要悪で、必要バカで、必要クズなんだよ。
俺みたいな成功者が大人げなく社会に反抗するのを見て、
勇気を与えられている人がたくさんいるんだ」

そう言うと、正座したジュークのひざに頭を乗せ、
ロックはそのままぐっすりと眠り込んでしまった。
ろっくんろーらーというやつはたいへんなんだな。

20

家の中では四歳児みたいに甘えるロックだが、
一歩家の外に出ると、態度は急変して、
ジュークを娘のように扱うのだった。

「だって恥ずかしいだろ?」とロックは言った。
「母親と歩いてるところを見られるのは嫌だろ」
ちゅうがくせいみたい、とジュークは思った。

ただ、ジュークとしては、母親のように扱われるより、
娘のように扱われる方が楽しかった。
ロックに抱っこされたり、頭を撫でられたりすると、
不覚にもふわふわした気持ちになった。

21

ジュークがロックの家に来てから70日目、
ロックはジューク用のベッドを買ってきた。

『ますたー、もうひとりでねれるんですか?』
ジュークはシーツを張りながらロックに聞いた。

「わからない」とロックは肩をすくめた。
「でも、徐々にそういうのに慣れていかないとな。
いつまでもマミーと寝ているわけにもいかない」

これが”おやばなれ”というやつか、とジュークは思った。

22

その夜、ジュークは初めて一人で寝ることになった。

きょうはちょっとさむいな、とジュークは思った。
頭まで毛布に潜ってみたが、やっぱり寒かった。

翌日も、その翌日も、やっぱり寒かった。
ジュークはそれを毛布のせいだと思った。
このもうふがいけないんだ。うすいから。

ますたーのベッドのもうふと、なにがちがうんだろう?
そう考えたジュークは、ロックのベッドに潜りこみ、
ロックに抱きついて、「ああ、なるほど」と納得し、
体が温まるまではそうしていようと決め、
結局、そのまま眠り込んでしまった。

23

目を覚ましたロックは、隣でジュークが寝ているのを見て、
「寝ぼけた俺が連れ込んだのかな?」と思った。

それ以後、ジュークは毎日ロックのベッドに潜りこんだ。
しかも以前はロックがジュークに抱きつくだけだったのに、
今ではジュークの方からロックに抱きつくようになっていた。

五日目の朝、ロックはジュークに言った。
「そうか。ジュークも、パピーが欲しいんだな?」

『えっと……そういうわけじゃないんです』とジュークは答えた。
『なんか、ひとりでねてると、さむいんです』

24

ロックはジュークの言葉を無視した。
「じゃあ、俺がジュークのパピーになればいいんだ」

『でも、わたしはますたーのマミーなんでしょう?』

「ああ。そして俺はお前のパピーだ、ジューク」

『なんかおかしいですよ。へんです』

「おかしくない。パピーとマミーが一緒にいる。自然だ」

『……そのいいかただと、”ふうふ”みたいですね』

そう言った後、ジュークはちょっと照れた。
わたしはなにをいっているんだ!

25

100日目。
ロックはジュークにきれいな服を着せた。
そうした方が綺麗に見えて、高く売れるからだ。

ロックはジュークを連れて外に出た。
ジュークはその服が気に入っていて、
いつになく機嫌がよかった。

『マミーとてをつなぎましょう』とジュークは言い、
ロックの手を引いて、ちょっと楽しそうに歩いた。

自分がこれから売り飛ばされることには、
まったく気付いていない様子だった。

26

気付けばジュークは、あんまりロックに
嫌われたいとは思わなくなっていた。

ますたー、わたしがなにをしてもおこらないし、
わたしのぱぴーになってくれるし、
あったかくてだきごこちがいいから、
ますたーにきらわれるの、やめにしよう。

そうジュークは思った。

27

ロックが立ち止まったそこは、
かつてロックがジュークを購入した店だった。

「俺がここでジュークを買ったあの日から、
今日でちょうど100日目だ」とロックは言った。

ジュークは『そうなんですか』と無邪気に笑う。

「これは、最初から決めてたことなんだ」
ロックは自分に言い聞かせるように言う。

「この病気が治ろうと治るまいと、100日きりで、
もう、こういう空しいことはやめにしようって。
ジュークを買ったその日から、決めてたことなんだよ」

ロックはジュークの肩に右手を置く。
「ジューク、今日限りで俺は、マミーを卒業するよ」

28

ジュークは表情を固めたまま黙りこんでいたが、
全てを受け入れるまで、そう長くはかからなかった。

ロックに向かってぺこりと頭を下げると、
ジュークは自分から店に向かって歩いていった。

このきおくは、すぐにけしてしまおう。
ジュークはそう思った。

扉の手前でジュークはふと振り返り、
自分の衣服や髪留めを指差して言った。

『これ、おかえしします。ますたーのしょゆうぶつですし』

29

ロックは「ああ、たしかにそうだ」と言うと、
ジュークに歩み寄り、小さな体をひょいと抱え上げた。
腕の中で目を丸くしているジュークに、ロックは言った。

「でもジュークは、何か勘違いしてるみたいだな。
それを言うなら、ジュークだって、俺の所有物なんだ。
マミーはもう、いらない。でもだからと言って、ジュークが
俺のところから出て行っていいという理由にはならない。
高い買い物だったんだ。二百年は使わないと割に合わない」

『えっと』とジュークはしどろもどろの手話で返した。
『わたし、すてられないってことですか?』

「そうさ。残念だったな」とロックはいたずらっぽく笑った。

30

帰り道の半分くらいまで来ても、
ジュークは自分に起こったことが信じられず、
これは自分が廃棄されている最中に見ている
都合の良い幻覚なんじゃないかと思っていた。

だがロックが小声で口ずさむ歌を聴いたことで、
ようやく「ああ、これ、げんじつなんだ」と気づき、
慌ててロックの胸を叩いて地面に下ろしてもらって、
あらためてロックに礼を言った後、遠慮がちに抱きついた。

ロックも直前までは、本気でジュークを捨てる気でいたのだ。
でも自分から姥捨て山に歩いていくジュークの背中を見て、
ふとロックは思った。あれを手放すわけにはいかない、と。

31

帰宅後、夕飯の支度を終えたジュークは、
譜面とにらめっこするロックを見て、
その横におそるおそる座ってみた。

「もっと近くにこい」とロックは命令した。
言われた通り、ジュークはそばに寄った。
ジュークはロックのきれいな金髪を見ていた。

「ところでジューク」とロックは口を開いた。
「”19”ってのは、シリアルナンバーか何かか?」

ジュークはちょっと迷ってから、こう答えた。
『じゅーくぼっくすの”じゅーく”なんですよ、ゆらいは』

32

「ジュークボックスとお前に、何の関係があるんだ?」

『んーと、わたし、むかしは、こえがでたんですよ。
それで、ちょっとだけ、うたをうたうのがとくいだったんです』

「歌が得意だった?」ロックは訊きかえす。

『はい。もちろん、ますたーほどじゃありませんけどね。
でも、たのまれれば、どんなきょくだろうとうたってました。
そういういみで、じゅーくぼっくすの”じゅーく”なんですよ』

「なるほど。別に18とか20がいるわけじゃないのか」
ロックはちょっと残念そうに言った。

33

ロックは自分の書いた譜面を指差して、言った。

「歌の経験があるなら、ジュークも分かるだろう?
見ろよ、本当にきれいな譜面だ。いい曲は譜面まで美しい。
さっき、なかなかいい曲を書いちまったんだよ、俺は。
全盛期の俺以外歌えないような広音域なのが問題だが」

そう言って、ロックはジュークに五線紙を手渡した。
ジュークはロックの書いた曲の譜面を、
ラブレターでも読むみたいな表情で読んだ。

こういうの、なつかしいなあ。
ジュークは頭の中でそうつぶやいた。

34

音符に集中しているジュークの形の良い頭頂部を、
ロックは穏やかな目で見つめていた。

100日目にしてようやく気づいたんだが、
ジュークの髪、黒でコーティングされてるだけで、
本当の色はエメラルドグリーンなんだな」

ロックはそう言ってジュークの髪に触れる。
ジュークはくすぐったそうに顔をかたむける。

「いや――正確には、ハツネグリーンか。
なあジューク、この色名の由来を知ってるか?
“ハツネ”っていうのは、ちょうど百年くらい前に、
日本から生まれたディーヴァの名前なんだ」

35

「”ヴォーカロイド”って言葉くらい知ってるだろう?
現状からするとちょっと信じがたい話だが、
三十年くらい前までは、人間の歌ったものより、
ヴォーカロイドの歌ったもの方が人気があったんだ。

まあ、ヴォーカロイドに人気があったというよりは、
商業音楽が自滅した、っていう方が近いのかもしれない。
あんまりにもあらゆる権利を主張し過ぎたんだな。
反動で一時期同人音楽が大流行したんだが、
その流行を支えたのが、ヴォーカロイドの存在だったんだ。

今でこそ同人音楽の一切が禁止されて
日の目を見なくなったヴォーカロイドだが、
全盛期は、本当に世界中を熱狂させてたんだよ。

ヴォーカロイドの中でも特に絶大な人気を誇ったのは
ハツネグリーンの由来となった『ハツネ』なんだ。
歌は上手くなかったんだが、キャラクターが受けて……」

36

ジュークは立ち上がり、五線紙をロックに返した。
そして部屋の隅にあるシンセサイザーの前に座り、
先ほどの譜面を、正確過ぎるほど正確に弾き語ってみせた。

「ますたーのいうとおり、わたしは、うたがうまくないです」
演奏を終えたジュークは、そう言ってはにかんだ。

ロックはしばらく黙り込んでいた。
「ジューク、お前……声が出せたのか?」

「はい。このとおり、ぎこちないですけどね」

まるで、百年前の機械の合成音みたいな声。
そしてコーティングに隠れたハツネグリーンの髪。
完璧すぎる音程、広すぎる音域。

まるで”そのもの”じゃないか、とロックは思う。

37

「馬鹿馬鹿しい質問をひとつ、いいか?」

「なんでもきいてください、ますたー」

「ジュークは……ハツネなのか?」

「はつねは、じつざいしません」

「そりゃそうだ。分かった、質問を変えよう。
ジュークはなぜ、ハツネにそっくりなんだ?」

ジュークは左腕を差し出して、手首を回す。
途端、左腕に、髪と同じ色ボタンが複数現れる。
古いシンセサイザーのパネルを彷彿とさせるデザイン。
まるでヤマハのDX7みたいだな、とロックは思った。

38

「じゅーくは、ほんもののはつねではありません。
ただ、かぎりなくちかいものではあります。
そうなるように、からだをいじられたんです」

「弄られた?」ロックは顔をしかめる。

「さいしょは、じゅーくもふつうのにんげんでした。
かみはくろくて、こえもふつうでした。
でも、むりやりはつねにさせられたんです。

といっても、きおくはけされちゃったから、
じぶんがどういうにんげんだったのかは、
おもいだすことができませんけどね」

39

「こりゃ傑作だ」とロックは手を叩いた。
69と暮らす19は、本当は39だったわけだ」

ロックは笑った。ジュークは笑わなかった。

「正直、気がめいる話だ」とロックは額に手を当てた。

「そうか、ハツネグリーンの髪を黒くコーティングして
喋れないふりをしてたのには、そういう理由があったのか。
たしかに今の時代、ハツネの姿と声で街を歩いてたら、
いきなり拳銃で撃たれても不思議じゃないからな。
……肩の火傷は、誰かにやられたのか?」

「いえ、ここに、01ってかいてあったんですよ。
それをけすために、ちょっとやいたんです」
ジュークは襟から肩を出して、その跡を見せた。

40

いつの間にか、激しい雨が屋根を叩いていた。

「そういういみでも、ジュークは、ここにいるだけで、
ますたーにめいわくをかけてしまうかもしれません」

ロックはジュークの火傷跡をじっと見つめていた。

「俺の喉にさわってみな」とロックが言った。
ジュークはおそるおそる手を伸ばした。
しばらく喉を撫でた後、ジュークは息をのんだ。

「つくりもの、ですか?」

「そう。つくりものだ」とロックはうなずいた。
「ロックンローラーの正体は、つくりものなんだ。
現役時代に無理をさせ過ぎて、もう使い物にならないが」

41

ジュークは何回もロックの喉を触って、
それが作り物であることを確かめた。

ますたーも、じゅーくのなかまなんだ。

うれしくなったジュークは、歌を口ずさみ始めた。
ジュークがうれしくて歌を歌うのは数年ぶりだった。
その古い古い歌を、ロックはよく知っていた。
しあわせなシンセサイザの歌。

歌がコーラスに差し掛かったところで、
ロックはシンセサイザーの前に立ち、
ジュークの歌に合わせて伴奏を弾きはじめた。

42

演奏を終えると、ロックはジュークの手を取った。
「ジューク、早くもお前の新しい仕事が決まった。
俺は楽器なら何でも弾けるが、肝心の歌が歌えない。
だがジュークなら、俺の作る歌の音域にも対応できる」

ジュークは目を瞬かせながらロックの顔を見た。
「でも、どうじんおんがくは、きんしされてるのでは?」

「ああ。加えて音響兵器の脅威によって、今や音楽なんて
ほんの一部の物好きのためだけのものになってしまっている。
でもジューク、俺は一度でいいから、自由に音楽をやってみたいんだ。
皆が耳を塞いだ、音楽の弱った時代で、だからこそ革命を起こしたいんだ」

43

「また、うたえる」とジュークは目を閉じて微笑み、
ソファーの上で三角座りして、うれしそうに体を揺らした。
「うまくちょうきょうしてくださいね、ますたー」

「調教? ……ああ、調律のことか。任せな」

「そうしたら、ジュークは、ますたーをいっぱいほめます」

「そうしてくれ。俺は褒められるのが大好きなんだ」

それからというもの、二人は楽器だらけの部屋にこもり、
朝も夜もなく、ひたすら曲作りに打ちこんだ。
自分の本当の役目を果たしているという実感は、
ロックを薬や喧嘩から遠ざけていった。

44

二か月かけてアルバムを二枚作り終えたところで、
ロックの中にあった焦燥感のようなものが、ふっと去って行った。
ひとまず最低限やりたかったことはやれたな、とロックは思った。
無駄とは知りつつも、ロックはそれらをウェブにアップロードした。

お祝いにフランス料理を食べにいった、帰りのことだった。
焦りから解放されたロックは、隣を歩くジュークを見て、
ふと、自分がこの少女について何も知らないことに気付いた。

「ジュークは、昔のことで、覚えてることはないのか?」

ジュークはしばらく考え込んでいた。
「おぼろげですけど……なかまがいたきがします」

「仲間? ひょっとして、ヴォーカロイドの?」

「たぶん、そうですね。あとはおもいだせません」

他にもジュークみたいな子がいるのだろうか、とロックは思った。

45

「はっきりとした記憶は、どこから始まるんだ?」

「それは、そうこからはじまりますね。
じゅうでんきにつながれて、ぼうっとしてました」

「充電器? 食事とかはどうしてたんだ?」

「じゅーく、いちおう、でんきだけでもいきてけるんです」

「そうか……倉庫では、どんな風に毎日を過ごしてたんだ?」

「いえ、ですから、じゅうでんきにつながれてました。
あたまをこんなかんじでかべにこていされて、
てあしとくびには、こういうかせをはめられて――」

「ジューク、その記憶、消せ」とロックは怒ったように言った。
「俺と出会う直前までの記憶は、全部消しちまえ」

46

ジュークはとまどったような顔で言った。
「でも、このきおく、じぶんのたちばをしるうえでは、
すごくわかりやすくて、じゅうようなきおくなんです」

「立場なんて忘れちまえ。ジューク、よく考えてくれ。
ジュークがそれを当然のように話すのは、おかしいんだ。
それはロボットにとっては当然の状態かもしれないが、
ジュークにとっては地獄だったはずなんだよ。
くそったれ、あの店主ジュークが人間だってことは知ってたんだろ?」

「んー、でもだいじょうぶなんですよ」とジュークは笑う、
「じゅーく、なんかもう、きかいみたいなものですし」

47

ロックは立ち止まり、ジュークに視線の高さを合わせて、言った。

「ジューク、確かに、自分を機械だと思えば、
自分を人間だと思ってるよりは、ずっと楽に生きられる。
そう思わないと耐えられない時期があったのも分かる。
でも、ジュークは間違いなく、人間なんだよ。
一緒に暮らしてる、俺が断言するんだ。

ジュークにはこれから、普通の生活を送ってほしい。
幸い、俺には自由にできる金がいくらでもある。
そう、できることなら、どうにかしてジュークを、
ハツネになる前の姿に戻したいとも考えてるんだ。
そうすれば、学校だって通えるだろう?」

48

ジュークは困ったような顔をした。
それから、ふと視線を上に向けて、
電線にとまっている数千羽のカラスを見た。

「すごいからす」ジュークは話題を逸らすように言った。

「最近、カラスが増えてるんだ」とロック。
「他の街から逃げてきたって噂もある。
向こうじゃ音響兵器の実験が盛んだからって」

ロックは「ぶぅいん」という奇妙な振動音を聞いた。

直後、電線に止まっていたカラスの大群が、
一斉にボトボトと地面に落ち始めた。

49

夕焼けの中、黒い塊が次々と空から降っていた。
たちまち辺りにカラスの死体が積み上がっていった。
生き残ったカラスたちは一斉に非難し始め、
夕焼けに染まっていた空は真っ黒になった。

その場にいた人たちは皆、その光景に見とれていた。
あまりに非現実的な光景に自身の目を疑ったのか、
悲鳴を上げる人は一人もいなかった。

カラスは地面に落ちる前から死んでいた。
それをやったのがジュークだということは、
ロックにも何となくわかった。

50

「これでも、にんげんといえますか?」
ジュークはロックの顔を見ずに、そう言った。

ロックは何を言えばいいのか分からなかった。

「さいきん、おもいだしちゃったんです。
じゅーくって、おんきょうへいきなんですよ」

「音響兵器……」とロックは繰り返した。
こんな馬鹿げた出力の音響兵器なんて、
ロックは今まで聞いたことがなかった。

51

二人は無言で帰り道を歩いた。
家に着くと、ジュークは寝室にこもった。
毛布を頭からかぶって、体を丸めた。

しばらくして、ロックがドアをノックした。
ジュークは「ねてます」と答えた。

ロックはジュークのベッドに腰かけた。
「さみしいのか?」とロックは聞いた。

「ヴォーカロイドは、さみしがったりしません」
ジュークは毛布の中からそう答えた。
「かわりに、さみしいうたをうたうんです」

「なら、人間と変わらないさ。大勢の人が、
そうやってさみしさと戦ってきたんだ」
そう言って、ロックは毛布の上からジュークの背中をなでた。

52

ジュークはさみしい歌をうたった。
夕日坂、とかいうオールディーズだった。
ロックは毛布をめくって、ジュークをそっと抱き寄せた。

「ますたー、これじゃうたえません」
そう言いつつも、ジュークは両手をロックの背中に回した。

ロックはジュークの首の後ろをさすりながら言った。
「大丈夫だジューク、ちゃんと残ってる。
あったかいものを、俺はジュークから感じられる。
ジュークは人間だよ。俺が保証する」

でもそんなことは、ジュークにとってはどうでもよかった。
ますたーのいるところにいられれば、それでいいや。

53

後日、ロックはその手のことに詳しい男に連絡を取った。
「音響兵器のことで、調べて欲しいことがある。
かつて、ヴォーカロイドってものがあっただろう?
あれと、音響兵器の関連を調べて欲しいんだ」

一カ月後、相手の男から連絡が来た。
ロックは近所のバーでその男と落ち合った。

男は資料をロックに渡し、言った。
「一体どうやって行きついたのか知らないが、
ロックンローラーさん、あんたの勘は正しいみたいだな。
ボーカロイドと音響兵器に関わる、きな臭い話が一つある」

54

「三十年ほど前、まさにボーカロイドの最盛期、
もちろん公にではないが、あるプロジェクトが始まった。
楽曲になぞらえて、『初音ミクの開発』と呼ばれたそうだ。

名目は本物のヴォーカロイドの開発だったんだが、
実際にやってたのは、人型音響兵器の開発さ。
歌で世界を物理的に変えるシンガーを作ろうとしていた。

だが結局、プロジェクトは立ち消えになったらしい。
奴らは調子に乗って、人体実験にまで手を出したんだ」

「ああ、そこまでは、実を言うと知ってるんだ」とロック。

55

「俺があんたに調べて欲しかったのは、
その人体実験に使われた女の子のことだ。

ハツネの姿そっくりに改造された女の子。
その子の、本当の名前、生まれ故郷、
ハツネになる前の姿が知りたいんだ」

男は大げさに首をふった。
「さすがにそこまでは、俺には無理だな。
そもそも、人体実験に使うような子だ、多分、
最初から住所も名前もないような子だろうよ。
今時誘拐とか拉致はリスクが高すぎるからな、
それ用の人間が造られてるって考えるのが妥当だ」

そうか、とロックは空をあおいだ。

56

「それはそうと、体の調子はどうだ?」と男が聞いた。

「まあ、最悪だな」とロックは肩をすくめた。
「肉体の拒絶反応が、ピークに達しようとしてる。
歌うことをやめても、症状は悪化するばっかだ」

「そうか。まあ、俺がどうこう言う話じゃないが、
残りの時間、せいぜい楽しく生きることだな。
最近のお前、ちっとも話題にならないし、つまらないぞ?
過去の事件なんて気にしてる場合じゃないと思うが」

「俺は楽しんでるよ。今、人生の絶頂にある」

ならいいんだけどな、と言って男は店を出ていった。

57

家に戻るなり、ジュークが駆け寄ってきた。
「おかえりなさい、ますたー」

「ただいま、ジューク。夕飯にしよう」

「ますたー、どこにいってたんですか?」

「人に会いに行ってたんだ」

「ますたーなのに? めずらしいですね」

「俺だって人に会うことくらいあるさ」

「おんなのひとですか?」

「いや。俺と同じくらいの歳の、物知りな男だ」

「そうですか」ジュークは安心したような顔をした。

58

「ますたーは、けっこんしないんですか?」
食器洗いをしながら、ジュークはさりげなく聞いた。

「しない。だからジュークを雇ってるんだ」

「おんなのひとが、きらいなんですか?」

「そういうわけじゃない。現にジュークは好きだ」

ジュークは危うく皿を割るところだったが、
なるべく平然とした顔で、「どうも」と答えた。

そういういみじゃないよね、ますたーだもの。

59

十月の末で、肌寒い夜だった。

「ますたー、きになるひとはいないんですか?」

「いるさ。というか、惚れてる相手がいる」

「……いがいです。どんなひとですか?」

「歌うのが好きで、体の一部が機械で出来てる」

ジュークはスカートの端をぎゅっと掴んだ。
わたしのことだといいな、とジュークは思った。

「まあ、もうこの世に存在しない人だがな。
かつて、一緒にバンドを組んでた相手だ。
俺とその子は、ホワイト・ストライプスみたいに、
ギターとドラムの二人だけで活動してたんだ」

60

「その子も俺たちと同じように、体の一部が機械だった。
でも、その子には機械の体が馴染まなかったんだ。
改造手術から一年で、拒絶反応を起こして死んだ。
どうやら、歌うことによって、寿命をすり減らしてたらしい。
洒落の分かるやつでさ、死に際、『デイジー・ベル』を歌ってたよ」

話を聞いて、ジュークはしょんぼりした。

わたしは、そのひとにはかてないだろうなあ。

「ジュークは、どうなんだ?」とロックが聞いた。
「ジュークは誰かに恋をするようなことはあるのか?」

61

「ヴォーカロイドは、ひとをすきになったりしません」
ジュークはそっぽを向いて、そう言った。

「かわりに、あいのうたをうたうんです」

「そいつはいい。ロマンチックだな」
ロックがそう言うと、ジュークは立ち上がり、
シンセサイザーを用いて、これまた古い歌を歌い始めた。

こーのーせーかーいーじゅーうでー だーれーよーりーもー
あなたーを すーきーでーいーいーかなー。

そんな歌詞だった。

62

演奏が終わった後で、ロックは言った。

「なあ、ジューク、……まさかとは思うが」

「なんでしょうか」

「お前、俺のことを愛してたりするのか?」

「……え、きづいてなかったんですか?」
ジュークは半ばあきれ顔で答えた。

ロックはかなり混乱してしまったようで、
ジュークに背を向けて床に座り込んだ。
ジュークも恥ずかしくて、ロックに背を向けた。

二人は背中合わせに三角座りする格好になった。

63

ロックは両手を床について、天井を見上げた。
「いや、どうも自分が愛されるっていうことが、
うまくイメージできないというか、信じられなくて……」

「へんなますたー」

「今まで俺に求婚してきたやつは、皆、
俺を盲目的に神様みたいにまつりあげるか、
そうでなきゃ財産目当てのろくでなしどもで、
……ジュークみたいな普通の子が、俺のことを
異性として好きになるってのが、うまく信じられないんだ」

「なりますよ。ばかじゃないですか」

64

「それにしたって、年齢差があり過ぎるだろ?」

「あの、じゅーく、みためよりふけてますよ?」

「何歳くらいなんだ?」

「わかんないですけど、たぶん、いま30はこえてます」

「……女は見た目じゃ分からないもんだな」

「まあ、からだはかわらないし、きおくもないから、
あるいみでは、1さいみたいなものなんですけど」

65

ロックが困った顔をしているのを見て、
ジュークはひざの間に顔を埋め、ため息をついた。

「へんなこといってすみません、ますたー。
さっきのは、ノイズです。わすれてください。
じゅーくも、いまあったことは、わすれます。
きおく、けすのはかんたんなんですよ」

「駄目だ。消すな」とロックは言った。

「悪いが、ジューク。三日、考えさせてくれ」

「みっか」とジュークは繰り返した。
ながいみっかになりそうだな、とジュークは思った。
でも実際は、そんなに長くはかからなかった。

66

翌日、ロックは朝早くに起きて、ジュークを揺り起した。

ジュークは寝坊したかと思い込み、
慌てて寝間着のままキッチンに向かったが、
ロックはそれを引きとめて、ジュークに言った。

「今日の午前、ジュークにお使いを頼みたい」

「いえっさー」ジュークは緊張して口調が変になった。

ロックはジュークにリストを渡した。
・ノースリーブの灰色のシャツ
・ハツネグリーンのネクタイとマニキュア
・スカート、ハイソックス、タイピン(すべて黒)
・ハツネグリーンのコーティング剤

67

「はつねのいしょうですか?」とジュークは聞いた。

「今日はハロウィンだ。皆、仮装して街に出るだろ?
ジューク、ハツネの格好をして外を歩いてみないか?」

「ええっと……それ、だいじょうぶなんですか?」

「犯罪行為ではあるが、十中八九、大丈夫だ。
この街のハロウィンは、ちょっと特別でな。
どいつもこいつも犯罪すれすれの格好をしてくるから、
ハツネの一人や二人、誰も気にしないだろ」

「ますたーはなんのかっこうをするんですか?」

「それは内緒だ。でも、ジュークもよく知ってるやつだ。
ジューク、ハロウィンのパレードに出たことはあるか?」

「ないです。たのしみです……たのしみ!」

「よし、それじゃあお使いにいってこい」

「はい、ますたー」とジュークは微笑んだ。

68

ジュークはデパートに行き、
必要な服や小物を買い揃えた。
デパートの屋上から街を見下ろすと、
既に仮装した連中であふれていた。
「たのしみ」とジュークは改めて口にした。

天気はあいにくの曇りだったが、
皆、気にせず楽しそうにしていた。

ジュークはロックを驚かせようと思い、
デパートで着替えて、ハツネの格好で帰った。
ますたーびっくりするかな、とジュークは思った。

街の人は、ジュークが表通りを歩いていても見向きもしなかった。
そもそも、ハツネを覚えてる人自体少ないのだ。

69

ジュークはロックが好きだった。
大好きな歌は、ロックの次に好きだった。

ロックが「ジューク」と口にするたびに、
「わたしのことだ!」と嬉しくなって、
ありもしない心臓が高鳴った。

ロックの綺麗な指が奏でる一音一音が
自分に向けられた愛の言葉に感じられて、
それが自分の勝手な思い込みである可能性が高いことを
承知した上で、それでもジュークは幸せでいられた。
幸せな勘違いができる幸せ。それだけで十分だった。

ジュークの頭の中はロックでいっぱいだった。
ますたー、ますたー、ますたー、ますたー、

70

「ますたー?」
ジュークが買い物から帰ると、
ロックが虚空を見つめて立ち尽くしていた。

71

ロックはジュークの声に反応した。
「マスターは、まだ帰ってきてないよ」
そう言ってくすくす一人で笑った。

ロックの様子はいつもと違った。
不安になって、ジュークはロックに駆け寄った。

子供みたいな笑顔で、ロックは言った。
「リンもまだ来てないんだ。ミク、今のうちに、
マスターの誕生日の計画を立てようぜ」

「……ますたー、なにいってるんですか?」
ジュークはロックの肩を揺さぶった。
ロックはその場に崩れ落ちた。

そして二度と動かなかった。

72

ジュークは自分に言い聞かせた。

ますたーはきっとよっぱらってるんだ。
めをさましたら、もとどおりになって、
”ジューク”ってよんでくれるはず。

ジュークはロックの目覚めを待った。
でも、ロックは中々目を覚まさなかった。

ジュークは歌い始めた。
一曲歌い終えると、床に正座して、
ロックの頭を持ち上げて膝の上に置き、
間をあけず、ロックの好きな歌を歌い続けた。

でも、なんかいうたっても、
ますたーはめをさまさなかった。

73

「きせきは、おこらないでしょうね」

ジュークはかわいた声で言った。

「わたしはうたがへただから」

74

ジュークは、ロックの最期の言葉を
頭の中で何度も繰り返していた。
不思議と、懐かしい感じがした。

わたしとますたーは、ずっとむかし、
しりあいだったのかもしれないな。

仮装した姿のロックを見て、ジュークはそう思った。
不思議とその恰好は、ロックに馴染んでいた。
まるで最初からこういう姿だったみたいに。

ほんの少しだけ残されている、
機械化されていない部分の肉体。
そこが何かを覚えている気がした。

75

ベッドに横たわって、ジュークは口ずさんだ。

ひーろーいー べっどでー ねむーるー
よーるはー まだー あーけーないー。

76

数日が過ぎた。
去り際に、ジュークはロックに向かって言った。
「ボーカロイドは、なみだをながさないんです」
そしてロックに背中を向け、二度と彼の方を見なかった。

シンセサイザーだけを持ち、ジュークは家を出た。
思い出がつまって、いまにも破裂しそうな家。

「そのかわり、かなしいうたをうたうんです」

ジュークが向かったのは、大きな街だった。
街は幸せそうな人で賑わっていた。

スタンドを立て、シンセサイザーを取りつけ、
コードを背中に差したジュークを見て、
道端に座るホームレスの老人は呆然としていた。

そっくりじゃないか、と思ったのだ。

77

人間の耳が辛うじて耐えられるレベルの不快音を
ジュークは四十時間出し続け、街から人を追い払った。

人払いを済ませると、ジュークはボリュームを最大にした。
ジュークの正面にあったものは、それでお終いだった。

傍にあるビルから順に窓が割れ、ガラスが降り注ぐ。
木々が倒れ、アスファルトがめくれ、自動車が吹き飛び、
街灯が折れて明かりが消え、瓦礫が飛び、土煙が舞い上がる。
至るところに火が点き、あっという間に燃え広がる。

ジュークの髪のコーティングが徐々に剥がれていき、
エメラルドグリーンの髪があらわになっていく。

ジュークは歌いながらゆっくりと回った。
一回転するごとに街は平らになっていった。

78

近くの街にいた者たちは、皆、耳を塞いだ。
けれども、さらに遠くにいる人たちには、
それが歌だということが、はっきり分かった。

「私の知らない歌」とある少女が言うと、
その祖父は「そうだろうなあ」と頷いた。
「とっても古い歌だ。本当に久しぶりに聞く」

「ふうん。おじいちゃんの世代の歌なんだ。
でも私、この古くさい歌、嫌いじゃないなあ。
日本語だよね。なんて言ってるのかな?」

「この歌は、つまり――歌う相手がいなくなったら、
ラブソングも悲しいだけだ、って歌ってるんだ」

79

ジュークは二時間ほど歌い続けた。
いつかロックの前で初めて歌った曲を歌い出したとき、
ふいに、ジュークの左腕に衝撃が走った。

半壊して機能しなくなった左腕を見て、
それが対音響兵器用の弾丸だと気づいたときには、
ジュークの右足を、同じ物が貫いていた。

ジュークはあおむけに倒れ込んだ。
右腕で立ち上がろうとすると、右肩を撃ち抜かれた。
最後に、喉に弾丸が食い込んだ。二発、三発、四発。

それでお終いだった。

80

ジュークを撃った男とその部下が歩いてきて、
さっきまでジュークだったものの傍にしゃがみこんだ。

あおむけのままジュークが歌ったせいかもしれない。
曇っていた空が晴れて、辺りが照らされていた。
穏やかな風が吹いて、ジュークの緑色の髪を揺らした。

男は部下に言った。「これが何だか、わかるか?」
部下は首をふった。「詳しいことは、何も」

「……こいつはかつて、電子の歌姫と呼ばれた子さ。
一時期は名前を知らない奴はいないくらいだったが、
最近じゃ、完全に忘れ去られていた存在だ」
そう言うと、男はジュークをそっと抱え上げる。

「だがな。さっき確認したんだが、この子が歌う姿は、
衛星を通じて全世界に中継されちまったらしい。
この事件は今後、永遠に語り継がれていくだろうな。
そういう意味でも、これまでにいたどんな歌手よりも
大勢の観客を前にして歌ったことになるんだよ、
この時代遅れのヴォーカロイドもどきは。
こういうのをロックンロールって言うんじゃないのか?」

私にはただの悲鳴に聴こえました、と部下は答えた。

 

 

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