あおぞらとくもりぞら

1
僕の仕事は、主に、部屋の掃除でした

なぜ他人の部屋をわざわざ掃除するのかと言うと
自殺には身辺整理がつきものだからです

きちんと掃除して、遺書を残して死ねば
その人の自殺を疑う人は、まずいません
とにかく綺麗にすること、それが大事なのです

手順は以下の通り定められています

@その人の体をのっとる
A辛そうに振る舞う
B身の回りを綺麗にする(これが一番大変)
C遺書を書く
D死ぬ

2
そのとき標的となっていたのは
神経質そうな目をした女の子でした
結果的には、これが僕の最後の仕事となりました

それまで僕が自殺させてきたのは
いかにも悪いことをしていそうな人たちで
こんなに若く、無害そうな標的は初めてでした

華奢で色白で、視線は常に下を向いていて、
笑い方がとっても控えめな女の子でした

3
それでも標的とされている以上
悪い人間であることに間違いはありません

人の二、三人、平気で殺しているのでしょう

僕は目を閉じて、遠く離れた場所にいる
標的の顔を思い浮かべ、体をのっとりました

八月の、よく晴れた日のことです
最後の仕事が始まりました

4
標的は、窓の外を見ていました

場所は高校の教室で、授業中のようです
誰しも黒板とノートを交互に見て
忙しそうに板書を取っています

その中で、標的の女の子だけは、
のんびり外を眺めていたのでした

外は、特に面白いものがあるわけでもありません
いかにも田舎っぽい風景が広がっています

5
試しに、標的の手を動かしてみました
ペンが妙に大きく感じるのは
この子の手がそれほど小さいということなのでしょう

教師の板書を丁寧に写してみます
すらすら動いて、調子はよさそうです
標的が抵抗してくる様子もありません

ふと教師の顔を見ると、こちらを見て
驚いたような顔をしていました
その意味はもう少し後になってわかります

6
標的の女の子の出方をうかがうために
僕はノートに「はじめまして」と書きました

そこで一旦、操作を解きます
標的は自分の手を開いたり閉じたりして
自由になれたことを確認していました

自分が操作されている自覚はあるようです
人によってはそれさえも気づかないのですが

標的は、自分の書いた「はじめまして」を
興味深そうにじっと見つめていました
それ以上の反応はありませんでした

7
授業が終わり、昼休みが始まります
再び標的の体を乗っ取ります
ここからが本番です

まずは標的の知人に対して、
標的が辛そうにしている姿を見せる必要があります

ためいきを増やしたり、口数を減らしたり、
いつもと違うことを言わせたり

そうすることで、「自殺の前兆はあった」と
周りが思い込み、自殺にリアリティが出るのです


8
僕は教室を見回して、標的の友人を探しました

しかし、話しかけてくる人どころか、
こちらに視線を向ける者さえいません

皆、それぞれに固まって、昼食をとりはじめます
僕は誰かが声をかけてくれるのを待っていました

9
昼休みの半分まで来ても
標的は取り残されていました

僕はそこでようやく気付きます、
この教室で、この子(標的)が孤立しているのは
とっても自然な状態なのだということに

どうやら標的は、いわゆる「ひとりぼっち」のようでした

10
困ったことになったと思いましたが、
良く考えてみると、好都合なことでした

周りと接点のない人物というのは
いつ死んでも説得力があるからです

インタビューされた同級生に
「無口な人だった」の一言で片づけられるような
「その他」のカテゴリーに属する人種

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しばらく放っておくことにしました
なにせ、することがありません

標的は、理想的な「自殺しそうな人」を、
黙っていても演じてくれるようでした

僕は標的の操作を一時的に解除しました

12
僕はアパートの一室から標的を操っていました
顔さえ知っていれば、どこからでも操れるのです

目覚ましを合わせ、僕は昼寝を始めました
人を操るには体力がいります

次の仕事は、一番大変な「身辺整理」です
それまでに体調を万全にしておく必要がありました

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目を覚まして標的の様子をうかがうと、
ちょうど最後の授業が終わり、標的が、
誰よりも早く教室を出るところでした

部活には入っていないようです
ウォークマンのイヤホンを耳に差し込むと
標的の女の子はまっすぐ家に帰しました

彼女が帰宅し、自室に入ったところで
僕は再び体をのっとりました
標的の目を通して部屋を見渡します

「なんだこれは?」というのが
僕が最初に抱いた感想です

14
しばらく途方に暮れてしまいました

だって、身辺整理しようにも、
最低限の家具と教科書類以外
その部屋にはなんにもないのです

雑誌も、本も、テレビも、パソコンも、
クッションも、ぬいぐるみも、観葉植物も、
その部屋には、なーんにもないのです

15
慣れた僕でも、人によっては
五時間くらいかかる身辺整理が、
この子だと、二分で済んでしまいました

唯一のゴミは、酒瓶でした
一番下の引き出しに、いくつか入っていました

僕は嬉々として瓶を袋に詰めましたが、
よくよく考えると、酒瓶に関しては、
置いてあった方が自殺者らしくなるので、
もとあった場所に戻しておきました

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唯一、人間性を感じさせるものとして、
棚に無造作に置かれたCDがありました
それを聞くためのプレイヤーと、ヘッドホンも

アレサ・フランクリン、ジャニス・ジョプリン、
ビリー・ホリデイ、ベッシー・スミス
いかにも憂鬱な人間のチョイスでした

これに関しても、部屋に置いてあった方が
自殺者らしくなるので、放っておきました

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こんなに楽な仕事は初めてでした
お膳立てされていたといってもいいくらいです

今すぐ自殺させても、何の問題もないくらいでした
下手に僕が手を加えないほうがよさそうです

拍子抜けと言うか、騙されているような気さえしました
とは言え、楽であるに越したことはありません

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仕上げに、標的の手で、遺書を書かせます

世界史の教科書の端を破り取って、そこに
「むなしいので死にます」と書きました

多分、この女の子が遺書を書くとしたら、
ごくごくシンプルで、誰のせいにもせず、
それでいて案外切実なことを書くと思ったのです

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遺書をポケットに入れて、
家を出ようとしたときでした

標的の女の子が、初めて反抗しました
それも、信じられないほど強い力で、です
危うくコントロール権を奪回されるところでした

「待って」と標的は口を動かしました
無理に動かしたので、唇が切れ、
そこから血が流れだしました

驚く半面、僕は安心してもいました
このままだと、上手く行き過ぎて
逆に気味が悪いと思ったからです

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標的の女の子は、こんなことを言いました
「遺書の文面を、少しだけ、弄らせてほしいんです」

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僕は自分で言う代わりに少女に喋らせます
「どういうことだ?」
傍から見ると、女の子の独り言です

少女は答えます
「『面倒なので死にます』に変えさせてくれませんか?」

「どうして?」

「こいつなんか、死んだ方が良かったんだ、
 って思わせたいんです。できることなら」

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僕はしばらく黙っていましたが、
それくらいはいいか、と思い、
文面を彼女の言う通りに直しました

標的の口が、「ありがとうございます」と
言おうとしたのが分かりました

結局、命乞いは一度もされずに終わりそうです
いったいこいつは何を考えているんだろう?

そこで僕はふと、あることに気付きます

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ひょっとするとこの女の子は、初めから
自殺する気でいたのではないでしょうか

身辺整理も済んで、遺書の内容も決めて、
ただ、踏ん切りがつかずにいたのではないでしょうか

だとすると、僕のやっていることは
自分では決心をつけられずにいた自殺志願者を
望みどおりに殺してやる、というだけのことになります

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そういうのは、僕の望むところではありませんでした
死にたがっている人を殺すのはつまらないことです

殺す前に少し、この女の子をいじめてやろう
そう僕は思ったのでした

標的の体をのっとり、遺書とは別の書き置きを用意し、
それを居間のテーブルに置いて、僕は家を出ました

女の子には、これから一晩中歩いてもらうことにします

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そこは非常に坂の多い街です
階段や段差がそこら中にあり
自転車に乗る人はめったにいません

傾斜が20%をこえるところも多くあり
また、狭く曲がりくねった道が多いところです

その中を、転べば折れそうなほど華奢な足で、
どこまでもどこまでも歩いてもらいます

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キリギリスやコオロギの鳴き声が響いていました
ひどく蒸し暑い夜でした
たちまち女の子は汗だくになります

靴のせいもあり、三時間ほど歩いた辺りからは、
脚全体がひどく痛むようになります

特に土踏まずとふくらはぎには激痛が走り
一歩一歩に苦痛を感じるようになってきます
顔を上げることもままならない状態です

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どうしようもなく喉が渇いたときには
自販機の前でコントロール権を渡してやります
小銭だけは持たせてきたのでした

ポイントは、彼女が自分の意志で
飲み物を買って飲むということです

それでも疲労はどんどん溜まり
痛みはどんどん増してゆき
お腹はどんどん空いていきます

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八時間ほど歩いたところで
標的はようやく目的地につきました

そこは、街を一望できる展望台です
螺旋階段をのぼりきったところで
僕は標的の女の子の操作を解除します

体力の限界を超えて動かされていた彼女は
途端にその場に崩れ落ちますが
彼女の体は、あらかじめ準備しておいた
椅子の上にちょうどおさまります

テーブルをはさんで、向かい側に僕が座っています

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たかだか数百円のカップラーメンを
汁も残さず食べきった卑しい標的は、
自分が死にたがっていたことも忘れて
手摺に肘を乗せて、街を見下ろして
「きれいー」とはしゃいでします

物を考える力がなくなっているらしく
普段のように表情に抑制がありません

向きを変えようとして、足を絡ませて、
おもいっきり笑顔で転んでいます

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「ところで、私のこと、殺さないんですか?」
標的は振り返って僕にたずねます

僕は説明しようとしますが、上手く言葉が出てきません
僕自身も物を考える力がなくなっていました

標的は八時間歩いて疲弊しきっているわけですが
こちらとしても、八時間標的を歩かせ続けるのは
自分で歩くのと同じか、それ以上に疲れるものなのです

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面倒なので、いったん標的を家に帰すことにしました
今日のところは、飲み食いする喜びを
身体に叩き込むだけで勘弁してやろう、というわけです

僕が手招きすると、標的は黙ってついてきました
よく分かりませんが、従順で扱いやすい子です
どうせ操られるだろう、という諦めでしょうか

僕たちはふらつきながら螺旋階段を下りました
車のドアを開けて、運転席に乗り込むと
突然、猛烈な眠気に襲われました

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標的が車の前で困ったような顔をしているので
助手席を開けて「乗れ」と言います
標的は「失礼します」と言って乗り込んできます

とても眠気に耐えきれそうもないので
十分ほど寝てから出発しようと決め
携帯の目覚ましをセットしている最中に
僕は眠りに落ちてしまいました

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暑くて目が覚めました
車内には容赦なく朝の光が差し込んでいます

左に目をやると、女の子が眠っていました
僕はドアを開けて外に出て
展望台の下にある水道で顔を洗いました

体もずいぶん汗でベタついていたので
車に戻ってタオルを取りに行くと
ちょうど標的が目を覚ましたところでした
眠そうな目でこちらを見ていました

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二人で並んで体の汗を濡れタオルで拭きとりながら
さてどこから説明したものか、と考えました

乾いた風がひんやりと心地よいです
標的は靴下まで脱いで足を洗っています

普通なら標的の方から何か聞いてきそうな物ですが
この女の子はさっきから、何一つ訊ねてこないのです

参ったな、と考えているその時でした

「綺麗になったことだし、どうぞ」

突然、標的はそう言うと、”気をつけ”の姿勢をとり、
僕の顔をまっすぐ見据えました

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標的は両腕を広げて掌をこちらに向け、言いました
「落とすなり、吊るすなり、好きにしてください」

前髪から水滴がぽたぽた落ちて
濡れた手足がきらきら光っています

やっぱり気に入らないな、と僕は思います
「そのうち殺すさ、とてもひどいやり方で」

「とてもひどいやり方ですか」
標的は間抜け面で繰り返します

「ああ。だから、まず車に乗れ」

標的は靴を履き、車の方へ歩いて行きます

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しっかりした朝食をとらせると
僕は標的を高校まで送り届けました

少しでも教室への滞在時間を減らしたくて
遅刻寸前に学校に来る主義の標的としては
むしろいつもより早く登校したことになります

車を降りると、標的はこちらを振り返り、
小さく頭を下げ、歩いて行きました
呑気なものです

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こちらも一限の講義があるのですが
その前にひとつ、やっておくことがあります

目を閉じて、標的の顔を思い浮かべます
彼女はちょうど教室に入るところでした

標的は、なるべく目立たぬように、
静かにドアを開けて中に入ります

それでもドアの近くにいた連中は、
誰が来たのかを確認しようと目を向けます

そのとき、標的の表情がぱっと明るくなり、
口からは「おはよう」と朝の挨拶が出てきます
もちろん僕の仕業です

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周りの連中は誰も挨拶には応えません
それは勿論、誰も、彼女が挨拶してくるなどとは
想像さえしていないからです
聞き間違えだろう、くらいにしか思っていません

標的の顔が真っ赤に染まります
恥ずかしくて仕方がないのでしょう
死ぬのは平気でも、挨拶を無視されるのは嫌なのです

39
ですがその後も、標的が廊下で
クラスメイトと擦れ違うたびに
僕は標的に感じ良く頭を下げさせました

標的はノートに「かんべんしてください」と
書いて僕に見せようとしていましたが
僕は何の反応もしてやりませんでした

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昼休みになると、標的はカロリーメイトを口に放り込み
イヤホンを耳にさして勉強を始めようとしたので
僕は体をのっとってイヤホンを引っこ抜きました

イヤホンなんてつけていたら、初めから周りとの
コミュニケーションを諦めている人みたいに見えるからです

標的はノートに「よけいなお世話です」と書きました

僕は標的の手を借りて、その文に取り消し線を引きます
そしてのその下に、「いやがらせ」と書いておきました

それを見た標的は、「ひどい」とだけ書き込みます

41
授業がすべて終わると、標的は誰よりも早く教室を出ます
いつもはさり気なく一番目に帰宅する標的ですが、
この日はなりふり構わず急いで出て行きます

これ以上僕に何かされたら敵わないと思ったのでしょう
しかし、帰宅後、彼女に更なる悲劇が訪れます
もちろん実行犯は僕なのですが

標的の体をのっとった僕は、再び身辺整理を始めました

42
一番下の引き出しにしまわれた、
カティサーク、ジョニーウォーカー赤、
エンシェントクランといったウィスキー

どこで手に入れたかは知りませんが
おそらく彼女の一番のお友達であるそれらを
僕はすべて洗面台に開けて流してしまいます

標的の口が「やめっ、もったいない」と動こうとします
今までで一番必死な反応だったかもしれません
ですが、知ったことではありません

43
さて、彼女のスケジュールによれば、
ベッドに横になって音楽を聴きはじめる頃合でしたが、
僕は酒瓶をビニール袋に入れて引き出しに戻すと、
そのまま彼女を家の外に出しました

ただし、今回は八時間ぶっ通しで歩かせたりはしません
十分ほど歩いたところで、目的地の公園に着きます

二台あるブランコの片方に、彼女を座らせます
当然、もう一台のブランコには、僕が座っていました

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辺りは薄暗く、日暮が近くで鳴いています
僕は両手に抱えていた植木鉢を標的に渡します
標的は「なんですかこれ」と聞いてきます

「アグラオネマニティドゥムカーティシー」と僕は答えます

「いえ、品種のことじゃなくて。なんですかこれ」

「部屋が殺風景すぎるからな。観葉植物だ」

「……これも、いやがらせなんですか?」

「プレゼントに見えるか?」

45
標的は植木鉢を掲げて、眺めます
「見えなくもないですね、綺麗ですし」

「そういうところが、気にくわないんだ」
ブランコから下りて、僕は標的の前に立ちます

標的は植木鉢を膝の上に抱えたまま
少し緊張した表情で僕の顔を見ます

しばらくその状態が続くと
ふいに標的は植木鉢を足元にやさしく置いて
「殺しますか?」と言ってブランコをこぎはじめました

46
僕はあらためて聞いてみます
「結局お前は、殺されたがってるのか?」

「んー、殺した方がいいですよ」と標的は答えます
「初めてでもないんでしょう? 私で何人目ですか?」

僕はしばらく考えてから、こう言います
「どこまで知ってるんだ?」

標的はブランコをとめ、植木鉢に目をやり、
僕と目は合わせずに、こう言いました

「知ってるも何も、今あなたがしてるのは、
 むかし私がしてたこと、そのままなんですよ」

47
「八人、自殺させました。標的は十九歳から七十二歳まで。
 男が六人、女が二人。四人は飛び降りで処理しました。
 ロープが三人で、あとの一人はカミソリです」

「あなたもそうだと思うんですが、ある日突然、
 人の体をのっとれるようになって、同時に、
 自分が何をしなければならないのかが分かりました」

「最初の一人の他は、上手いことやれたと思います。
 この仕事の良いところは、一人自殺させるたびに、
 自分も死んで、生まれ変わったような気分になれることでした」

48
「あなたは、どうして自分がその能力を
 持つようになったのか、分かりますか?」

僕は首をふりました

「これはあくまで私の予想に過ぎませんが、
 あなたにバトンが受け継がれたのは、
 おそらく、私が人を殺すのをやめたせいです。

 九人目で、私はありがちなミスを犯しました。
 同情してしまったんです、標的に対して」

49
「とたんに私の能力は失われました。
 その後で、私が逃した標的は、自殺しました
 たぶん、私の代わりに、後任が現れたんでしょうね。
 私はもう使えないって判断されたんでしょう」

標的が顔を上げて聞いてきます
「あなたが初めて殺したのって、二十代の女性でしょう?
 茶髪でセミロング、背は高め、指が綺麗な女の人」

僕が黙っているのを、標的は肯定と受け取ったようでした

50
「あの人のこと、私、殺せなかったんですよ。
 だって、あの人、笑っちゃいますよね、ああ見えて、
 写真とお喋りするのが一番の娯楽なんですよ。

 理由はわからないけど、そういうのって、
 すごくげんなりさせられるじゃないですか」

「あの人を見逃してからしばらくして、
 私は人の体をのっとる力を失いました。
 更にしばらくして、今度は、体をのっとられたんです」

標的は僕を指差して言います、「あなたに」

51
「いわゆる”用済み”ってやつなんでしょうね。
 前任者は後任者に消されるシステムなんでしょう」

「私が自殺させた人の中にも、ひょっとすると、
 以前は私と同じようなことをしていた人がいたのかもしれません」

「だから」、標的は笑って言います
「殺しちゃった方が、話は早いでしょう?
 そうしないと、次はあなたも狙われますしね」

52
答える代わりに、僕はまたこの質問を口にしました
「結局お前は、殺されたがってるのか?」

「そうするのが、一番なんだと思います」

「”お前”が、殺されたがってるのか?」

「私、ですか。……そうですね、死ぬのは怖いです、
 でもそれ以上に、死んだ方が楽だろうなあと思ってます。
 うん、そうですね。たぶん私は殺されたいんです」

53
「なら話は早い」と僕は言います、
「楽になる手伝いなんてごめんだね。
 俺は、お前には、『今死ぬわけにはいかない』
 って悔しがりながら死んで欲しいんだ」

標的は無表情に僕を見つめます
「その前にあなたが死ぬと思いますよ」

「いいさ。死んだ方が楽だろうと思うしな」

「……まねしないでください」

「アグラオネマは直射日光に弱い」

「はい?」首を傾げつつ、標的は植木鉢に目をやります

54
「しかし、明るい場所で育てる必要はある。
 変な表現だが、『明るい日陰』におくといい」

「……あの、私、もうすぐ死ぬんですよ?
 あなたが殺さなくても、別の誰かが殺しますし」

「高温多湿を好むから、暖かい場所に置いて、
 一日一回は霧吹きで葉に水をかけてやれ。
 水も、やりすぎない程度にたっぷりな」

「育てませんってば」

「ついでに言うと、高価な植物だ。
 あの手のウイスキーが十本くらい買える」

「ええっ」標的の体がこわばります
頭の中は酒瓶でいっぱいなのでしょう

55
「枯らしてしまったときは、お前の体を乗っ取って、
 クラスメイトに『友達になってください』って言って回る」

「そういうのはほんとにやめてください。
 アグラ……ムドゥ……なんでしたっけ?」

「カーティシーでいい。覚えろ」

「かーてぃしー」

「そうだ」

「あおぞらです」

「……ん?」僕は星空を見上げます

「私の名前です。覚えてください」

「ああ、名前か。知ってるよ」

「くもりぞらではないです」

「青空だろ。確かに似合わない名前だよ」

56
「それで、あなたの名前は?」

「くもりぞらだ」と僕は言います

「まねしないでくださいってば」

「本当だよ。すばらしい偶然だな」

「ふうん。似合う名前で良かったですね」
青空は拗ねたような顔をして言います
「……それで、私はこれ、カーティシーを、
 このまま持って帰るんですか?」

「そりゃあそうだ」

「恥ずかしいなあ」

「恥ずかしい思いは、これから沢山してもらう」

「今日のだけで死にそうなんですけどね」

「人はそう簡単には死なない」

「あなたが言うと説得力がありますね」

57
「さて、そろそろ解散といくか」
青空の顔を見つめながら、僕は言います
「なんだかお前、いきいきしてきたからな」

青空は痛いところをつかれて
慌てて緩んでいた表情を引き締め
「別に、そんな」と言いながら顔を赤くします

”実は人と話すのが好き”などと思われるのは
青空のような者にとっては最も苦痛なことなのです

58
「さようなら、くもりぞらさん」
青空は公園を出て行きました
逃げるように早足で出て行ったので
公園の前にいた人に気づきませんでした

青空のクラスメイトの男は
公園から出てきた青空を見たあと
その手に抱えられた植木鉢を見て
見てはいけないものを見たように目を逸らしました

すかさず僕は青空の体をのっとります
感じの良い笑顔で「こんばんは」と言います
相手の男は、とても困った顔をしましたが
「ちわっす」と頭を軽く下げました

59
クラスメイトの男が去って行くと
青空は僕のところまで戻ってきて言います
「いったい、なにがしたいんですか?」
よほど恥ずかしかったのか、涙目になっています

「お前がしたくないことをお前にをさせたい。
 お前がしたいことはお前にさせたくない」

「変な人と思われたじゃないですか、
 公園から植物盗んだ人みたいじゃないですか」

「いいじゃないか、どうせ死ぬんだろ?」

「確かにそうですけど、それでも、死ぬ直前まで、
 死んだ後の自分を想像する自分はいるんですよ」

「いいことを言う、その通りだ。だからやりがいがある」

呆れたような顔で青空が僕に言います
「女子高生に嫌がらせして楽しいですか?」

「楽しいぜ。今度やってみな

60
それからも毎日、僕は青空が知人と出会うたびに
礼儀正しく挨拶させ、時には会話までさせました

周りが少しずつ、青空が口を開いても
違和感を覚えなくなってきたところで、
惜しくも課外授業が終わってしまいます

最期の授業が終わった後、
青空はまっさきに教室を出ると思いきや、
ノートの隅に、おそらく僕に向けた
メッセージを書きはじめました

61
青空は、以前僕がそうしていたように、
ブランコに腰掛けて待っていました

「こんにちは、くもりぞらさん」

真夏日の昼間で、ブランコの椅子は
ひどく熱を持っていました

カーティシーの育て方について、
今のやり方で合っているのか確認したい、
というのが青空の要望でした

話を聞く限り、青空の育て方に
特に間違った点はなさそうでした

62
「糞暑いな」と僕は汗を拭います

「落としてあげましょうか、川とかに。涼しげですし」

僕は無視してシーブリーズを体に塗ります

「いつか落としてやりますからね」
青空は僕に小石を定期的に投げてきます

僕は青空の体をのっとり、水飲み場で
おでこで水を飲ませてやります

制服までびしょ濡れになった青空は、
「涼しげでいいです」とブランコに座って言います

63
「お前はもう夏休みか。残念だな」と僕は言います
「もっと色々やらせようと思ってたんだが」

「夏休み大好きです」と青空はばんざいします
「人と会わなくて済むし、家にいられるし。
 お酒は誰かが捨てたから飲めませんが」

「人と会うのも、外に出るのも嫌なのか」
僕がそう聞くと、青空は「しまった」という顔をして、
「ええと……どちらかと言えば」と濁します

青空の体をのっとり、僕はポケットをまさぐります

ところが目当てのものは見つかりません
しかたなく、操作をいったん解除します

64
「お前」僕は聞きます、「携帯はどうした?」

「携帯? 持ってませんよ、そんなもの」

「携帯電話を持ってない? 今時の女子高生が?」

「必要ないことくらい見ればわかるでしょう。
 いままで気付かなかったんですか?」
前髪をしぼりながら青空は言います

確かに、青空が携帯電話を持っても、
目覚し時計と化すのが目に見えています

65
「なにをするつもりだったんですか?」

「知人に連絡して、遊びに誘ったりするつもりだった」

「断られますよ、そんなの」

「そうなれば尚良かった。お前傷つくだろうし」

「……そうですね。効果覿面でしょう」

「お前が人に会いたくなくて外に出たくないなら、
 俺はお前を人に会わせて外に出そうと思ったんだ」

「間に合ってます。もう外に出てますし、
 現にこうしてくもりぞらさんと会ってるんです」

「じゃあそれを継続しよう」と僕は提案します
提案と言うか、もう決定なのですが

66
青空はお酒が飲みたいそうなので
僕は青空を喫茶店に連れて行きました
エスプレッソをふたつ注文します

「私コーヒー苦手なんですよ。にがいから」

「知ってる。ウィスキーは飲めるのに、変な話だ」

「コーヒー、毒みたいな味するじゃないですか」

「毒を飲んだことがあるような口ぶりだな」

「ええ、他人の体を使って、ですが」

僕が何も言わずにいると、青空は
「冗談でしたー」と言って微笑みます
冗談にしても分かりにくいし、何より面白くありません

67
僕が机の上に広げた参考書をのぞきこみ、
青空は不思議そうな顔をします

「勉強するんですか?」

「ああ。試験が近いんだ」

「そっか……そうなのか。私も勉強しよう」
青空は鞄から速読英単語を取りだします
それを見た僕は、なんだか懐かしい気分になります

運ばれてきたコーヒーに、砂糖をたっぷり入れ、
おそるおそる口をつけた青空は、「にがいー」と顔を歪めます

68
「ちなみに私は、標的を見逃してから、
 一週間くらいで能力を失いましたよ」

勉強を始めて二時間ほど経ったところで
青空が伸びをしながらそう言いました

「関係ないな。別に見逃したつもりはないから」

「傍から見ても、そう見えますかね?」

「ああ。どう見ても標的を狙う殺し屋だ」

「ふうん」青空はつまらなそうに言います
「それはそうと、勉強、はかどりますね。
 なるほど、ここは勉強するのに良さそうです」

「なんてこった」と僕は言います、「勉強はやめにしよう」

69
映画館に入った僕たちは、階段を下りていきます

「たしかに勉強には向かない場所ですね」
青空はきょろきょろしながらそう言います

連日の試験勉強で睡眠不足だった僕は
映画が始まって数分で眠ってしまいます

目を覚ますとほとんど映画は終わっています
登場人物たちは何かに感動して泣いている様子です
勝手に盛り上がってるんじゃねえよ、と僕は思います

「どんな映画だった?」と僕が聞くと
「殺人犯が酷い目にあう映画」と青空は答えます
映画の製作者もがっかりしていることでしょう

70
「映画もドラマもそうですけど、人を殺した罪人って、
 大抵、なにがあろうと、最終的には死にますよね」

「『人を殺すような奴は死んでしまえ』ってことだろう」
僕はくしゃみをしてから言います
「そういった意味での公正さを、人は求めてる」

「たとえ改心したとしても?」

「やっぱり、一度でも人を殺したような奴は、
 たとえその後で聖人みたいになったところで、
 どこか安心できないところがあるんだろう」

「私たちは死んだ方がいいってことですね?」

「つまりはそういうことなんだろうな」

71
「なんだかそういうのはわくわくしますね」
前を歩く青空は、映画館出た後、振り返ってそう言います
「ここに生きているべきでない若者がふたり」

「なにがどう、わくわくするんだ?」

「あおぞらとくもりぞらですしね」
そう言って青空は僕の顔をのぞき込みます
何か言いたげな笑みを浮かべています

72
僕はなにか意地悪なことを言ってやろうとして
そのとき、不意に、「のぞかれた感じ」がしました

のぞかれた感じ。

「青空」僕は早口で聞きます
「一度、俺に遺書を直させようとして、
 ものすごい力で抵抗したことがあったよな。
 どうすればあれほどの力で抵抗できる?」

青空は「それはですね」と言いかけた後、すぐに勘付き、
「もしかして、のっとられてます?」と聞いてきます

73
「いや、まだ大丈夫だけど、一瞬、覗かれたような感じがした」

「ああー。あれ、確かに覗かれてる感じしますよね」
青空はなぜか、はにかむように笑います
「ついにあなたも標的になっちゃったわけですね。なかまー」

「まだ決まったわけじゃない。俺の気のせいかもしれない」

「でも、仮に狙われ始めているんだとしてですよ、
 なんで私より先にあなたを狙うんでしょう?
 前回の経験から言うと、先に私を殺すはずなのに」

「俺もそう思ってたんだが、考えてみれば、今この場には、
 『死ぬべき人間』が二人そろってるわけだ。つまり――」

74
「つまり、『お前を殺して俺も死ぬ』の形式が、
 いちばん手っ取り早いということですね」

納得したように青空がうなずきます

「相手の人、良い判断なんじゃないですかね。
 私と違ってくもりぞらさんは操られるの初めてだから、
 うまく抵抗することができないでしょうし。
 そっかー、私はくもりぞらさんに直接殺されるのか」

「さっさと言え、どうすれば操作に抵抗できる?」

青空はそっぽを向いて、つんとした態度で言います
「教えてあげません。教えて欲しそうだから」

75
僕たちはちょうど、街の広場に着いたところでした
木陰に入ったところで、僕は青空の後ろに回り
青空の細くてひんやりした首に、右腕を巻き付けます

青空は力を抜き、黙ってそれを受け入れます
”気をつけ”の姿勢のまま、後ろの僕に体重を預けます
僕の腕は少しずつ青空の首を絞めていきます

体を乗っ取られるのは初めての経験でした
あまりにも違和感がなくて、最初は自分の意思で
自分を動かしているかのような錯覚を受けました

おそらく今僕の脳は、「腕が動いたということは、自分から
腕を動かそうとしたということだ」と解釈しているのでしょう

76
青空の首に絡み付いた僕の腕に、徐々に力が入ります
やむを得ないと思い、僕は青空の体を乗っ取り、
自分(曇り空)の体を突き飛ばそうとします

しかし、僕と違い、青空には抵抗ができます
僕の操作に逆らって、一歩も動こうとしません
なるほど、青空は本当に僕に殺されたいようです

ですが、その抵抗から、僕はなんとなくヒントを得ます

青空の体がぐったりしてきたあたりで
僕の腕は徐々に青空の首から離れていきます
青空は僕の腕をすり抜け、地面に倒れます

77
無理に操作に逆らった僕の腕は
いったん全体の皮膚をひっくり返されて
硬いもので万遍なく殴打されたように痛みます

両手が自由に動くことを確認すると、僕は
眠そうな目で僕を見上げている青空に話しかけます

「つまり、『操作に抵抗しよう』とするんじゃなくて、
 『操作の上書きをしよう』とすればいいってことか」

青空は不機嫌そうな顔で、小さな咳をします
「惜しかったなあ。気付くの早すぎですよ」

78
「もしかすると、もとから知ってたんですか?」

「いや。俺の操作に、お前が抵抗する感じを参考にした。
 操りながら操られることで、とても効率良く学習できたらしい」

「なるほど……とは言え、体、めちゃくちゃ痛むでしょう?」

「ああ。自分が何しゃべってるかわからないくらい痛む」

「私もです。おまけに頭はくらくらするし。暑いし。
 くもりぞらさん、私、首の汗ひどかったでしょう?」

「べつに」

「ひどかったんです。ああ恥ずかしかった」
どうでもいいことばかり気にする女の子です

79
「さてと」、僕はしゃがみこんで青空の顔をのぞきこみ、
目をそらした青空の頬を強めに引っぱります
「いたいいたいー」と青空は気の抜けた声で言います

「なあ、なにが『教えてあげません』だよ?」

「あなたのまねです。ざまーみろ」

「しかも俺の操作に抵抗しやがった」

「おかげでコツを掴めたんでしょう、良かったですね」

僕は立ち上がろうとして、後方にバランスを崩し、
手をついてその場にへたりこみます
その拍子に、地面にあった枝で手を切ってしまいます
まあいい、と僕は気にせず放っておきます

80
僕たちはびっくりするほど体が動かなくなっていて
立ち上がるだけで汗だくになりました

石畳からの照り返しが暑さに拍車をかけます
芋虫みたいな速度で涼を求めて歩きます

広場の噴水のふちに腰掛けようとしたとき
僕は勢いあまって水の中に落ちました
腹筋に力が入らないとこういうことが起こるのです

81
水面に顔を出して、僕は顔を両手でこすります
広場にいた人たちの視線が僕に集まっています
青空は体の痛むところをおさえながら笑っています

僕は諦めて、両手をついて水中に座り、空を見上げます
飛行機雲がふんわりまっすぐのびています

近くの木にとまった二羽のカラスがこちらを見ています
もうすぐ餌になる対象を見るような面構えです

82
「なにやってんですか」と青空が言います
「また誰かに操られてるんですか?」

「涼しげでいいだろう」と僕は答えます

「体中痛いんだから、笑わせないでください」

「笑い死ね」

「びっしょびしょじゃないですか」

青空はそう言うと、噴水のふちに立ち
ひょいと飛んで僕の横に着水します

水飛沫があがり、僕は目をつむります
広場中の視線が再び僕らに集まります

83
十秒以上たっても青空が顔を上げないので
僕は青空が体を起こすのを手伝います

「溺死するところでした」と青空は言います
「こんな子供用プールより浅い場所で」

「『噴水で女子高生死亡』なんて、
 ニュースを見た人が首を傾げるぞ」

「気持ちいいですね」青空は目を閉じて言います
「今もう一回操作されそうになったら、抵抗できます?

84
「そこなんだよ。どうして向こうは追撃してこない?
 今なんか、頭を下げるだけで溺死させられるのに」

「抵抗されて、びっくりしてるんじゃないですか?
 経験のあるくもりぞらさんに聞きますけど、
 操作に逆らわれたとき、どんなことを思いました?」

僕は少し考えてから、答えます
「お前の場合、それ以前に色々とイレギュラーだったから、
 抵抗されても不自然に感じなかったんだよな」

85
青空は褒められたわけでもないのに
ちょっと嬉しそうな表情になります

「でも相手が仮にお前じゃなかったとしたら、
 確かに、驚いて、様子見に入るかもしれない」

「なるほど……。あ、そうだ。くらえくもりぞらさん」
青空はそう言いつつ、僕の顔に水を掛けます
僕も無言で二倍の量を掛け返します

しばらくそれを繰り返した後、噴水を出て服を絞り、
水をぽたぽた滴らせながらベンチに行き、
並んで座って服が乾くのを待ちました

時刻を知らせる鐘が広場に鳴り響きます

服が乾くと、青空はくしゃみとあくびを交互にして、
「それじゃあ、また」と言って帰って行きました

86
ひょっとすると、僕はもう、二度と青空に
会うことはないのかもしれないな、と思います

向こうがなりふり構わずに来れば、
僕たちがちょっとやそっと抵抗したところで、
速いか遅いか程度の差にしかならないでしょう

どうせなら部屋を思いっきり汚しておこう、
そう僕は思います
片付ける人の苦労を少しでも増やすために

それから二週間が過ぎます

87
その日、喫茶店で本を読んでいると、
自分の名前が呼ばれたような気がしました
もちろん、”くもりぞら”ではない方の

顔を上げると、店員が僕の顔を覗き込んで、
「やっほー」と手を振っていました

同学部の先輩、顔を合わせれば
挨拶はする程度の仲の人です

しばらく、スクリプトに従ったような
様式に忠実な会話を僕らは交わしました

88
不自然でない程度の時間が経つと、
先輩に気付かれないよう、そっと店を出ます

この店にくるのはもうやめにしよう、と僕は決めます
結構お気に入りの場所だったのですが、
知人がいるとなると、どうしようもありません

次の店を探さなきゃな、と溜息をついたとき
ふいに僕は体をのっとられました

遅かったじゃないか、と僕は思います

どうくるのかと自身の体の様子を見ていると、
まっすぐどこかへ向かって歩きはじめます

89
これから味わうであろう痛みを想像しながら、
僕は操作に抵抗して、口を動かします

自分を殺そうとしている相手との
コミュニケーションを試みます

「二分でいいから、話を聞いてくれ」

しかし僕の体は構わず動きつづけます

「あんたにも関係のある話なんだよ」

舌は思い切り攣ったような痛みが走り
唇の端が切れて血が垂れてきます

90
「なあ、そもそも、どうして自殺させるべき対象が、
 頭にぱっと浮かんでくるんだと思う?」

慎重に言葉を選びながら、僕は言います

「俺はこれまで、六人の標的を自殺させてきた。
 たぶん、お前と同じようなやり方で。
 だが七人目を殺すことが出来なかった」

「そうして今、お前に命を狙われてる。
 以前自分が他人にしていたことを、
 今度は他人に自分がされているわけだ」

91
「操られる側になって分かったことだが、
 『人の体をのっとって操れる人がいる』
 ということを前提として知らない限り、
 自分が操作されている事実には、
 なかなか気付けるものじゃないらしい。

「それくらい自然に感じられるんだ、
 体をのっとられて動かされるってことは。
 あるいは、起こっていることが不自然すぎて、
 事実を受容できないのかもしれない」

「そこまではいい。しかし、ここから俺が言うのは、
 証拠はないし、論理が飛躍しているし、
 何より自分にとって都合がよすぎる考えだ」

92
「でもな、仮にだ。人の体をのっとる俺たちもまた、
 実に自然に、体をのっとられているんだとしたら?
 俺たちは自分で考えて人を殺しているように感じているが、
 実際のところ、操られているだけだったとしたら?」

そこまで言って、僕は限界を悟ります
これ以上喋ることは出来なさそうです

足が止まる様子はありませんでした

93
辺りは薄暗くなってきていました
道路には、浴衣を着た小さな子供や
自転車を漕ぐ小学生の男の子たちや
ちょっとお洒落をした中学生のカップルなど
街の祭に向かう人がちらほら見られます

八歳と六歳くらいの兄妹が
互いに虫よけスプレーをかけあって
その匂いが僕のところに流れてきます

少し遠くから笛の音が聞こえてきます
焦げたソースの香りもしてきました

名前を呼ばれた気がしました

94
僕の目は動きませんでしたが
視界の隅にブルーのスカートが見えました

「あの後、すぐ仕事が終わったんだよ。
 それで、歩いてたら、君の姿を見つけて」
その声で、僕は相手が誰だか知ります

「ねえ」と先輩は言います、
「さっきのって、やっぱり独り言だよね?」

僕は無言で先輩の顔を見つめます
先輩は僕の口元を見て、目を丸くして、
「血、出てる」と口を指差して言います

95
僕が何も言おうとしないのを
動揺の証と受け取ったらしい先輩は
なぜか「大丈夫だよ!」と励ましてきます

「私の友達にも、君みたいな子、いたよ。
 でもそれはただの一時的な病気で、
 別に特別気に病むことじゃないんだよ」

よく分かりませんが、ひとまず、
ある点において手間が省けました

僕は先輩の体をのっとり、言うことを聞かない
自分の体を地面に叩きつけます

柔道で言うところの大内刈を、
先輩の体を使って僕にかけたわけです

96
単純な脇固めを極め、僕の動きを奪います
そのまま先輩に喋ってもらうことにします
僕の体は先輩を振り払おうとしますが
その動きは僕自身が抵抗して軽減します

「あんただって、いつかは俺たちみたいに、
 どうしても殺したくない相手に出会う。
 そして次の瞬間にはあんたが命を狙われるんだ。
 そういう繰り返しは、もうやめにしないか?」

そう言った後、続ける言葉を考えて、
しばらくその体勢のままでいると、
いつのまにか僕の体の操作は解けていました

ここまですることはなかったのかもしれません
地面に転んだ時にぶつけた肩が痛み出します

97
僕は先輩の操作を解除しますが
先輩はじっと目を瞑ったまま、動こうとしません

何かいって離れてもらおうとしましたが
口がまったく言うことをききません
この分だと食事にまで支障をきたしそうです

もう一度先輩の体をのっとり、僕を解放します

「こんなことするつもりはなかったんだよ」
先輩は青ざめた顔で言います、
「それに、自分でも意味の分からないこと
 口走っちゃったり、私、どうしたのかなあ……」

98
「ねえ、怪我してない? 大丈夫?」
先輩がそう聞いてきます

口をきくことのできない僕は、頷いて
「大丈夫」という意志を示そうとしましたが、
先輩は僕が声を出せないのを
ショックのせいだと思い込んだようです
泣きそうな顔で謝り続けて来ます

少し気の毒に感じましたが
説明の仕様がないし面倒なので
僕は先輩の体を硬直させると
その場を逃げ出しました

99
祭に向かう人の流れに逆らって
重たい体を引きずって僕は家に帰りました

アパートに着き、自室の鍵を開け中に入ると、
服も脱がずにベッドに体を投げ出します

部屋は蒸し暑く、体は痛みます
扇風機をつける元気さえありません
ひどく喉が渇いていましたが
体を起こして水を汲みに行くのさえ億劫でした

いろいろと面倒だなあ、と僕は思います
「ここがくもりぞらさんの家ですか」と青空が言います

100
僕は起き上がって声のした台所の方を見ました
冷蔵庫の照明に照らされた青空の顔が目に入ります
青空はハイボールの缶を勝手に取りだして
プルタブを引いてごくごく飲んでいます

缶から口を離すと、青空は「おいしいー」と笑います
僕は安心して再びベッドに横になります

101
「お久しぶりです、くもりぞらさん――っていう台詞は、
 本来もう少し前に言うべきだったんですが、
 なんだか私に気付いてないみたいだったんで、
 ここぞとばかりに尾行させてもらいました」

僕は何か言おうとしますが、上手く喋れません
青空はロング缶をひとつ空にすると、
「反撃開始ー!」と言って部屋に入ってきます
顔はうっすら赤く、酔っ払っている様子です

102
僕に動く気力がないのを知ってのことか
あるいは単に酔っ払っているからか
青空は人の部屋を漁りはじめます

煙草のカートンを見つけると、青空は
「お酒を捨てられた仕返しです」と言って
ゴミ袋に放り込みます

CDや本も、ほとんど捨てられます
青空なりの基準が存在しているらしく
青空はときどき「これはよし」と言って
一部のものは、棚に戻されます

103
僕は青空に手招きして、身振り手振りで
コップに水を汲んでくるよう頼みました

青空は台所でコップに冷たい水を注ぐと
「ほーら水ですよー」と言いながらやってきて
ベッドに寝る僕の顔に1mくらい上から垂らします

僕は口を開けてどうにか水を飲みます
顔もベッドもびしょ濡れになりますが
少しでも水を飲めたことを僕は喜びます

104
「くもりぞらさん、今日は一段と元気ないですね」
ベッドに腰掛けた青空は、空き缶で僕の頭を
こつこつ叩きながら言います、「でも私は元気です」

僕は「後で見てろよ」という目線を送ります

「出て行ってもらいたそうな顔してますね」
青空は楽しそうに言います
「だから出て行ってあげません。あはは。
 ――それにしても、くもりぞらさん、
 さっきから喋りませんね。動きませんし。
 疲れてるんですか? なんかありました?」

僕が何も答えないのを見て、
「ん、まあいいや」と青空は言います
「とにかく、千載一遇のチャンスですね」

105
青空は僕の体を無理やり起こすと、
後ろに回って僕の首に右腕を巻き付けました

「前のやつの仕返しです」と青空は言います

以前触れたときの青空の首は冷たかったのですが
今日の青空の腕はあったかいです
あるいは僕の体が冷えているのかもしれません

「私、酔っ払いですから」、青空は僕の耳元で言います
「酔っ払いですから、これから変なこと言いますけど、
 それは酔っ払いだからです。気にしないでください」

106
「なんで最近、いやがらせしてくれないんですか?」

青空は腕の力を緩めると、そのまま
腕を下げて、僕の胸の辺りで交差させます

「どうして体のっとってくれないんですか?
 どうしてひとりになりたがってる私を
 くもりぞらさんは野放しにしておくんですか?」

青空の人差し指が僕の胸をとんとん叩きます

107
「ちょっとさみしいじゃないですか。
 さみしいのが、私は好きなんですよ。
 だからそれを阻止してくださいよ。
 そういうのがくもりぞらさんの役目でしょう?

青空の人差し指の動きが止まります

「それに私は、死期が近いからって慌てずに、
 いつも通り過ごして死にたいと思ってるんです。
 だから、それさえも邪魔してくださいよ。
 なんで言わないとわからないんですか?」

108
青空の両手首を僕が両手でつかむと
「あ、動いた」と青空は嬉しそうに言います

酔っ払いの言うことは、話半分に聞くのが正解です
ですが、青空は「気にしないで」いてほしいらしく
そうなると僕としては、気にせざるを得ないのです
そういうのが、僕の役目らしいですから

109
僕は青空の手を離して、振り返って青空と向かい合い、
まず、いま喋れないのだということを説明しようと思い、
自身の口を指差した後、両人差し指で「×」を作りました

すると、青空は何を勘違いしたのか
「だめって言われるとしたくなります」と言って
僕が指差したところに自分の唇を重ねてきました

その後、僕は苦労して携帯に文章を打ち込んで
さきほどあったことを説明したのですが
青空は「はい」「はい」と半目で頷き続けた挙句
人のベッドですうすう寝息を立てて寝てしまいました

110
青空の寝息を聞いているとこちらも眠くなってきたので、
寝ている青空の頭をくしゃくしゃやった後、ソファで眠りました

目を覚ますと、体が大分楽になっていました
僕は早口言葉をためします

「とてちてた、とてちて、とてちて、とてちてた 」

どうやらきちんと喋れるまで回復したようです
冷蔵庫からきんきんに冷えたビール缶を取り出し
へそをだして寝ている青空の頬に当てます
「つめたい」と言って青空は目を覚まします

111
僕は言います、「いつまで人のベッドで寝てる?」

「くもりぞらさんが喋ったー」と青空は喜びます

ビールを飲みながら「そろそろ帰れ」と言うと、
青空は眠たげな目で「いやです」と言い、
その後時計を見て「うわあ」と驚いていました

青空はベッドの上に三角座りして、
それからしばらく黙り込みました
現状について思いを巡らしているようでした

112
青空はベッドの上に正座して言います
「あの……さっきはべたべたしてすみません」

「おお、ちゃんと覚えてるんだな」

「あ、そっか。忘れてることにしとけばよかった」
青空は正座したまま横に倒れます
「くもりぞらさん、私もお酒欲しいです」

「そろそろ帰れ。時間が時間だ」

「時間が時間で時間ですね」
青空はそう言って一人で笑います

113
「しかし参ったな」と僕は言います

「お前が嫌がらせされるのが好きとなると、
 嫌がらせをしないことによる嫌がらせさえも
 結果的に嫌がらせになってしまって、
 最終的には喜ばせてしまうことになる」

「難しいことは考えずに、普通に
 いやがらせしてくれればいいんです」

「なるほど」と僕は言い、ベッドの青空の
膝の下と首の後ろに手を差し入れ
ひょいと持ち上げて玄関まで運びました
その軽さに、僕はちょっと驚きます

114
そのままドアを開けて外に出ると
「もういいですよ」と青空が言います
だからどうしたという感じです
僕はそのまま歩きつづけます

青空は僕を見上げて言います
「はいはい、そういう嫌がらせですか」

「屈辱的な仕打ちというやつだ」

「私の足の状態に気づいてたんですか?」

「さあな」

「くもりぞらさんは発声器官ですけど、
 私は足の方をやられたんですよね」

115
「というわけは、抵抗したんだな?」

「ええ。だって私、殺されるなら、
 くもりぞらさんにって決めてますし」

「次に俺が何を言うか分かるだろう?」

「『じゃあ殺してやらない』、ですよね。
 だったらせめて、私はくもりぞらさんより先に、
 ここからいなくなりたいなあ」

「そうか。じゃあ俺は、俺より先にお前を死なせない」

「じゃあ私は、私より先にくもりぞらさんを死なせない」

そういうやり取りを交わした後で、
僕はちょっと恥ずかしくなってきます
これじゃあまるで永遠を誓い合ってるみたいじゃないか

116
もちろん、物事はそんなに
思い通りにいくものではありません

それが気休めに過ぎないことは
お互いにわかっているし、経験上、
死ぬということがそんなに優しくて
綺麗なものではないことを知っています

117
翌日、青空をいつもの公園に呼び出そうとした僕は
人の体をのっとる力を失ったことに気付きました

ですが、結局青空は公園に来ました

「どうせ呼ばれるだろうと思ったから、
 こっちから来てやったんです」
青空はしたり顔でそう言います

僕は「やるじゃないか」と言って
青空の頭を撫でてやりました

青空は頭を両手で押さえて
「子供扱いしないでください」とむくれます

118
「お前はいつも通り過ごして死にたいらしいな」

「だって、せっかく死ぬ覚悟が固まってても、
 ふとした拍子に幸せな思いをしちゃったら、
 苦労して固めた覚悟が崩れちゃいますからね。

 ただでさえ、命が薄らいできたせいか、
 異様に感動しやすくなっちゃってるんです。
 気をつけないとすぐ幸せになっちゃいますよ。
 感傷的になるなのは避けたいんです」

そこで僕は、センチメンタル・ジャーニーを提案します
どうにかして青空を感傷的にしてやろうというわけです

119
青空は窓からの風を心地よさそうに浴びて
小さな声で何かを歌っていました
こっちには聞こえていないと思っているのでしょう

「ままー じゃすきーらめーん」

それは僕もよく知っている曲でした
運転席でハンドルを握る僕は
一緒に唄おうとしたのですが
やっぱりやめておくことにしました

青空の声をきいていたいと思ったのです
趣味が酒と音楽だけというだけあって
さすがに歌い方というのを心得ていました
選曲も中々状況にマッチしています

120
屋台でホットドッグとクレープを注文し
ベンチに並んで座ってそれらを食べます

ひどく古いコカコーラの赤いベンチで
塗装は半分以上剥げてしまっています

青空はサンダルを脱いで横向きに座り
素足を僕の膝の上に乗っけてきます

「ずっと思ってたんですけど、
 私、くもりぞらさんについて、
 ほとんど何も知らないんですよね」

121
「たとえば、私は音楽が好きです。
 それはくもりぞらさんも知ってるでしょう?」

「ああ。見た。悪くない趣味だと思う」

「くもりぞらさんに褒められた!」

「こういう問題に関してはフェアなんだ、俺は」

「……ええと、それで、くもりぞらさんは、
 何か好きなこととかあるんですか?」

「それは、うんと好きなもののことか?
 それとも、ただ好きなもののことか?」

「うんと好きなもの」青空は僕の発言の
意図が分かったらしく、にんまり笑います

122
「俺は、ゆっくり回転する物が好きだ」

「……うーん、説明を求めます」

「メリーゴーランドとか、観覧車とか、
 オルゴールとか、時計とか、ひまわりとか」

「地球とか、月とか、太陽とか?」

「ああ。そうだな。天体も好きだ」

「私と、どっちが好きですか?」

「……ん?」

「ゆっくり回転する物と私」

「前者だな」

「……じゃあ、ゆっくり回転する私」
青空は立ち上がり、ゆっくり回りはじめます

123
僕はゆっくり回転する物が好きなので
ベンチから身を乗り出して青空を捕まえ、
再びベンチに座り、膝の上に青空をおいて
後ろから両手をまわして確保します

ゆっくり回転する物が好きなわけであって
青空と密着していると異様なほど安心することに
最近気づいたというわけではありません

「こんなに効果あると思いませんでした……」
青空はちょっと動揺した様子です

124
自販機で買ったポカリスエットを
保冷剤代わりにして体を冷やしながら
僕と青空は駐車場に戻りました

晴れ渡った空の向こうには、積乱雲が見えました
街路樹に蝉がとまって鳴いています
この蝉も僕たちも、余命は同じくらいでしょう

どこかの家から線香の匂いが漂ってきます
よく日焼けした子供たちが、釣竿を持って
駆け抜けていき、それに合わせて風鈴が揺れます

125
「このまま逃げちゃいましょうか」

「どこに行けば、あの得体のしれない
 超能力から逃れられるっていうんだ?」

「わかんないけど、地球の反対側とかなら、
 ちょっと難しそうじゃないですか?」

「それで、その後、どうするんだ?」

「小川が流れてたりするとこなんかに住むんです。
 ……そうでなきゃ、銀行強盗でもして歩きます?」

「で、八十七発の弾丸を受けて死ぬのか?」

「そうです。ボニー&クライドするんです」

「どっちも、あんまり現実的じゃあないな」

「知ってますよ。冗談です」

126
当てもなく車を走らせました
途中で寄ったCDショップで青空が買った
「ラバーソウル」がカーステレオから流れています

山道に入ると、急カーブが多くなり、
貧弱な青空は左カーブに入るたびに
「わー」と運転席に倒れ込んできます
いつの間にかベルトを外しているのです

一度は間違えて、右カーブなのに
運転席方向に倒れてきました

「さて」と青空が切り出します
「いまから、身勝手な話をします」

127
「私、これまでに、八人殺したじゃないですか。
 そのことを後悔してはいるんです。

 今思うと、あの人たちが具体的に
 どんな悪さをしたのか私は知らないし、
 仮に悪い人たちだったとしても、
 私個人は全く恨みもなかったんです。

 なんであんなことしちゃったんでしょう?
 あの中にくもりぞらさんがいたとしても、
 当時の私だったら殺しちゃったと思います。
 そう考えると、やっぱりとんでもないことを
 やらかしちゃったんでしょうね、私は。

 ……でもですね、九人目でやめて以降、
 私の身に起きた一連の出来事については、
 ひそかに、気に入ってさえいるんです。
 それと引き換えにこれから起こる、
 さみしい事態も考慮した上で、ですよ」

128
「そのことについてなんだが――」
僕は以前思いついた仮説を青空に話します

「なるほど」と青空は言います
「確かに私も、疑問には思ってたんですよ。
 そもそもどうして、標的に関する情報が
 自動的に頭に浮かんでくるのか」

「他にどうとでも利用できそうなその能力を、
 標的の殺害だけに注ぎ込もうとしてしまうのか」

「そうそう。今考えると、妙ですよね」

129
「でも」青空はきっぱり言います、
「証拠はどこにもないんでしょう?
 私たちを操ってる人がいるっていう」

「そうだけどな、そんなこと言い出たら、
 極端な話、俺たちの他殺にも証拠なんてない。
 俺たちは自殺させたと思い込んでるだけで、
 実際は、彼らがきちんと彼らの意志で
 そうしていたのかもしれないんだ」

「そして何より」と僕は言います、
「どんな理由であれ、青空が自分の意志で
 人を殺したりするとは思えないんだ」

「八人殺しました」と青空は言います

「ナイフは人を殺さない。ナイフで人を殺すんだ。
 どっかの誰かが、青空で人を殺したのさ」

130
「都合よく考えようぜ」と僕は続けます、
「俺たちはおそらく、人を殺したっていうことから
 気を逸らそうとするあまり、逆に必要以上に
 責任を負おうとしてしまっていた部分がある。

 だが、特にならない殺人をする理由がどこにあった?
 いくらでも自分に利益をもたらせられるはずの
 この能力を、どうして活用しようとしなかった?

 おそらくこの能力には制限がかかっていたんだ。
 俺たちが向こうの意にそぐわない行動をしないように」

131
「うーん、もしそうだとしたら、嬉しいんですけど」
青空はうつむいて、少し間を置きます
「でも、なんにせよ私は、だめですよ。
 八人殺したおかげでくもりぞらさんに会えた、
 あーよかったって考えてるようなやつですから」

「違う、八人で止めたから俺と会えたんだ」

青空は困ったような笑顔を浮かべます
「確かに、決してないとは言い切れない話です。
 ですが、それでも犯人が確定するまでは、
 ひとまず私がその責任を負うべきだと思うんですよ」

「素晴らしい心がけだな。犯人が分かるまでは
 ひとまず殺されておこうってわけか?」

「だって、しかたないじゃないですか」

132
「ひだり」と青空が突然言います
言われなくても僕だって気付いています

車を停めて、外に出ます
視界の上半分が青い空と白い雲なのに対し、
下半分は黄色と緑で埋め尽くされています
大きな白い風車が、いくつか回っています

「ひまわりもあるし、風車も回ってるし、
 とってもくもりぞらさん的空間ですね」
青空が僕の隣で言います

133
こんな光景を、昔見たことがあるような気がしました

制服の女の子とスーツの男
妙にちぐはぐな印象を与える二人が
並んでひまわり畑を見下ろしているのです

もちろん実際はそんなものを見たことはなく
たぶん単純に、その光景があまりにも
僕の好みに適合していただけなのでしょう

134
青空は指折り数えます
「んーと、メリーゴーランド、観覧車、
 オルゴール、時計、ひまわり、天体」

そして、「ですよね?」という目をこちらに向けます

「そうだ」と僕はうなずきます

「それと、ゆっくり回転する私」

「ああ。別に回転しなくてもいいけどな」

青空は僕の目を見たまま固まります
「おー……不意打ちですね」

「こういうのは逆に困るだろう?」

「困ってます。照れてます」
まわんなくてよかったのかー、と青空はひとりごちます

135
「ひまわりは達成したので、次にいきましょう」

「全部回る気なのか?」と僕は訊きます

「そうです。ゆっくり回るものを、
 ひとつずつ、ゆっくり回りましょう」

それは確かに、理想的な過ごし方でした
「お前はそれでいいのか?」と僕はたずねます

「それがいいんですよ。好きなものばかり見て、
 くもりぞらさんは生に執着しちゃえばいいんです。
 死ぬのいやだーって私に泣き付けばいいんです」

「なるほどな」

136
からかうように、青空が軽く体当たりしてきます
「何だか、くもりぞらさんらしくないですね。
 決定権は、いつでもあなたにあるんですよ?
 したいと思ったことをすればいいじゃないですか」

「いや。もう俺も、あのうさんくさい力は失ったんだ。
 もう青空を操ることはできない。良かったな」

「そんなこと問題になりませんよ、私、
 あなたの言いなりになるの、癖になっちゃってますから」

「そうか」僕は納得します、「まわれ」

青空はその場でくるくる回りはじめます

137
二時間ほどで、青空の言うデパートに到着します
屋上遊園地などという時代錯誤的なものが
未だ存在していたことに驚きました
外装も城みたいで、大時代的です

「未だっていうか、新しく出来たんですけどね。
 時代錯誤がむしろ格好良いみたいな
 最近の風潮に合わせて作られたらしいです」

ここにはくもりぞらさんの好きなものが
いっぱいあるんです、と青空は言います

地下駐車場に車を停めると、店内に入ります
天井は呆れるほど高く、冷房ががんがんきいています
自分が縮んだような気になる場所でした
まだ夢が売っていた時代のデパートみたいです

138
良い雰囲気の雑貨屋を見かけると
青空は僕を置いて中に入っていきました
ついていこうとすると、追い払われます

「くもりぞらさんはメロンでも見ててください」

青空なりにやりたいことがあるようです
仕方がないのであたりをうろつきます

デパートに来るのは久しぶりでした
おかげで、子供の頃の記憶が
そこにそのまま残っている気がしました
もちろんこの場所を訪れたことが
あるわけではないのですが

139
エントランス付近のベンチに座って青空を待ちます
行き交う人々は、みんな幸せそうに見えます
実際、ここを訪れるような人は、ある程度裕福で、
「余計なこと」に金を割く余裕のある人たちです

子連れの客が多く、どこの子供も、
絵本の中から出てきたような感じです
立派な服、整った顔立ち、綺麗な体つき

彼らの将来を考えて、自分の現状と比較し、
僕は勝手に落胆して溜息をつきます

140
いつの間にか青空が脇に立っています
「さ、いきましょう」と青空は言います
何をしていたのかは聞かずにおきます

エレベーターが混んでいる様子だったので
いつも見るものより数段長いエスカレーターに乗ると
青空は壁に貼られた注意書きを指差しました

「黄色い線の内側では手を繋いでください、ですって」

「お子様と手を繋いで黄色い線の内側に、な」

「似たようなものです。私、年下ですから。
 ほら、黄色い線の内側ですよ」青空は手を差し出します

僕はその白くて細い指をそっと握ります
すかさず青空がぎゅっと握り返してきます

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「あれみたいですね、恋人みたいです」
僕の顔を見上げて青空が笑みを浮かべます

「これだけじゃあ兄妹と似たようなもんだ」

「傍から見ても、そう見えますかね?」

「ああ。どう見ても仲の良い兄妹だ」

「これでも?」青空は自分の指を
僕の指の間に入れて、握り直します

「おいおい」と言いつつも、
僕はその手をしっかり握り返します

142
僕らが屋上遊園地に到着した途端
場内に大きな音楽が流れ始めます

真上にある時計台からの音のようです

「からくり時計ですね」と青空が言います
「10万人目の来場者になったかと思いました」

「雨だ」と僕は手を差し出して言います
今はまだ弱いですが、徐々に強くなる類の降り方です

「雨ですね。じゃ、さっさと乗っちゃいましょう」
メリーゴーランドと観覧車を指差して青空は言います

濡れた石畳が遊具のカラフルな光を反射して
屋上はクリスマスみたいなことになっています

143
メリーゴーランドは、よくある子供騙しの
チープなものではなく、凝った造形のものでした

念のために僕は言っておきます
「俺は見るのが好きなわけで、
 別に乗りたいわけじゃないんだよ」

しかし青空は二人分のチケットを購入し、
結局僕たちは馬車に向かい合って座ります

合図が鳴り、馬車が動き出します
青空は身を乗り出して、僕に言います

「『とても酷いやり方』でいつか殺す、
 くもりぞらさんはそう言ったわけですけど」

「言ったなあ、そういえば」

「どんなやり方なんです?」

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少し考えてから、僕は答えます
「そうだな。まず……簡単に殺しはしない。
 時間をたっぷりかけて、じわじわ殺すんだ。
 死ぬときに未練や後悔が残るように、
 できるだけ生に対する執着が増すような、
 そういう暮らしを、長期に渡って送らせる」

「時間をたっぷりって、いつごろ殺すんです?」

「幸福慣れするのに時間がかかりそうな
 相手だからな、慎重にいく必要がある。
 十年、二十年、場合によっては、百年でも」

「私は時間かかりますよー」、青空が得意気に言います

145
想像通り、雨は次第に強くなっていきます
屋上の客はどんどん減っていきます

観覧車に乗り込み、半分くらいの高さまで
昇ったところで、青空はぽつりと言いました
「百年かけて、殺されたかったなあ」

「俺もそうするつもりでいたさ」

「でも、難しそうですね」

「今となっては、明日も知れぬ身だからな」

「なんとかして、逃げられないものですかね?」

「俺もそれをずっと考えてる。でも向こうは、
 その気になりさえすれば、何でも出来てしまう」

「うーん……」と青空は俯いて考えます

146
「こんなのはどうでしょう?」
観覧車が三分の二くらいの高さまで
来たところで、青空は言います

「くもりぞらさん、標的を自殺させる上で、
 定められた手順を言ってみてください」

僕は頭の中の文章を読み上げます、

@その人の体をのっとる
A辛そうに振る舞う
B身の回りを綺麗にする
C遺書を書く
D死ぬ

「そう。そして、一つ目を阻止することは困難です。
 でも、二つ目、三つ目、四つ目を、
 全身全霊で邪魔したらどうなるんでしょう?」

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「たとえばですね、Aを妨害するとして、
 自殺する理由が見当たらないどころか、
 絶対に自殺するわけがないって思われるくらい、
 幸せになっちゃえばいいんじゃないでしょうか」

「まあ確かに、向こうには、周りに自然な自殺だと
 思わせなければらない義務があるからな」

「そうです。くもりぞらさんの幸せはなんですか?」

「今まさにってところだな。青空といること」

青空は頬をかいて目を逸らします
「えーと……いや、すごく嬉しいんですけど、
 こんなことで満足しないでください。
 まだまだこれからじゃないですか。
 こんな陳腐なことは言いたくないんですが、
 生きてればもっと楽しいことが沢山ありますよ」

148
僕らの観覧車が一番高くなる瞬間が訪れます
その高さからは、雨に濡れた街が一望できます

窓にはりつくように下を見ながら、青空は言います
「そう。私はくもりぞらさんと同じ大学へ行くんですよ。
 がんばって勉強して、くもりぞらさんの後輩になるんです」

「だいぶ頑張らないといけないな」僕は苦笑いします

「大丈夫ですよ。くもりぞらさんが教えてくれますから。
 そうしてまた、一緒にカフェに行って勉強したり、
 映画を観に行ったり、お酒を飲んだりするんです。

 毎年、私たちに殺された人たちのお墓参りにいって、
 あんまり派手な生き方はしないようにして、けれども、
 必要以上に卑屈にはならず、強かに生きていくんです。
 そう、明るい日陰で生きていくんですよ。

 そのときは、今までみたいな話し方をやめて、
 お互いとっても素直に、昔のことを話すんです。たとえば――」

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「たとえば、実は俺が、青空のことを
 好きにならないように必死に努力したが、
 結局は無駄に終わったこととか」

青空は目を丸くして僕の顔を見ます

「そういうことだろ?」と僕は念を押します

「……そうです。そういうことを話すんです。
 課外が終わって会いに行ったとき、
 私がわざわざ髪を切って、お洒落をして、
 実はとってもはしゃいでいたこととか」

「アパートに青空があらわれたとき、
 どうしてか、妙にほっとしてしまったこととか」

「足の心配をしてくれて抱っこしてもらったとき、
 本当は皆に見せて回りたいくらいだったこととか」

「酔っ払った青空がとんでもなく可愛かったこととか」

「キスの件は、わざと勘違いしたふりをしたこととか」

150
びしょ濡れで店内に戻った僕らは
無闇にお互いを叩いて笑います

思えば、この夏は、僕も青空も
しょっちゅうずぶ濡れになりました
それでも、雨に濡れるのは初めてでした

あたたかいコーヒーを飲み終える頃
デパートに閉店を知らせる音楽が流れ始めます

外に出た僕らは、夜の雨の街を、
傘も差さずに歩きつづけます
青空は「雨にぬれても」を口ずさみます

見込みのない二人は、いつまでも
手遅れの幸せについて語ります

151
雨はかなり弱まってきていました
青空に言われて空を見上げると
ぼんやりした月が浮かんでいました

「残念ながら、星は見えませんけど」

青空は鞄から何かを取りだします
僕には、梱包を剥がす前から
それが何なのか分かります

「もちろん、オルゴールです」
青空はそれを僕に手渡します
グランドピアノの形を模した
シリンダーオルゴールです

「これで、くもりぞらさんの好きなものは、
 ひとまず全部そろいましたね」

曲を流してみてください、と青空は言います

152
それは本当に突然のことでした

ぜんまいを巻いている最中
不意にふわりと、僕の心の曇りが晴れます

僕を直接殺そうとしていた意思とは別の
もっと上の存在からの操作から逃れ、
自由になることができたのでしょう

途端、押さえつけられ、弱められていた
僕の人間的感覚が開放されます

目の前の少女が、突然、
かみさまみたいに見えてきます

ああ、そうだったのか、と僕は思い、
何も言わず、僕は青空を抱き締めます
青空は「うわっ」と驚きつつも
すぐに抱きしめ返してくれます

そうだよな、と僕は思います
これくらいの気持ちが溢れていて当然だったんだ

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どうにかして青空を、この糞みたいな
くだらない繰り返しから抜け出させてあげよう、

こんな卑屈で先のない幸せにすがらなくとも
もっと心の底から笑えるようにしてあげよう、

オルゴールが終わるころには、
僕はそう決意していました


でも結局、その日が僕らにとって
最後の日となりました

154
さて、
急に感じるかもしれませんが、
これでお話は大体お終いです

155
八月のよく晴れた日に出会ったのは、
神経質そうな目をした女の子でした
華奢で色白で、視線は常に下を向いていて、
笑い方がとっても控えめな女の子でした

156
最後に交わした会話は、僕と青空だけの秘密です。

157
おしまい。


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